信仰の世界は、新約啓示録の約束が成就したことと、その実状を信じるのか

 


アダムの犯罪によって、この世は罪悪の世となった。そこで神様は、この世を創造した時の本来の世界に回復することを願われた。そして約2千年前、イエス様の再臨の時に成し遂げられる将来の事として、新約啓示録の預言を与えてくださった。 この書、啓示録が記録されてからは約2千年が経った。しかし今日に至るまで、この世の誰一人としてこの書、啓示録に精通する者はいなかった。この時、新約啓示録の預言が肉体となって現れた一つの所がある。啓7章で神様の印を押されて創造された新天地12枝派である。この12枝派は啓示録通りに創造され、啓示録に精通している。事実がこのようであるにもかかわらず、啓示録を加減した伝統教会(カトリックとプロテスタント)の牧者たちは、自分の教団に所属しない、他の教団に対して異端だと言って迫害した。 新約啓示録の預言は、腐敗した一つの時代が終わること、そして新しいもう一つの時代が創造されることを語っている(啓6-7章、啓13-14章)。それゆえ一つの時代が過ぎ去り、また一つの時代が創造されるこの時、「私は新約啓示録が語る誰なのか、啓6章の人なのか、啓7章の人なのか」について考えてみなければならない。一つの時代が過ぎ去り、また一つの時代が始まることは、神様だけができることである。新約聖書の啓示録で語る新しい時代が、天国へと完全に変わることを願う。この働きを担う者は新天地である。 その昔、イエス様が初臨の時に来られた時、エルサレムの牧者たちは、旧約に精通されたイエス様に対して異端だと言った。イエス様が異端だったのか、それともイエス様に異端と言ったエルサレムの牧者たちが異端だったのか?エルサレムの牧者たちが異端であった。今日もまた、新約啓示録に精通する新天地が異端ではなく、新天地に異端と言う伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちと神学博士たちが異端である。この世は本当に混沌としている。新約聖書の前で自らを顧みてほしい。 天国を望む信仰人であれば、「私は新約聖書が語る誰なのか?新約啓示録通りに再び生まれたのか?啓6章の背教した選民の審判の出来事の後、啓7章で印を押され、約束の国12枝派に登録されたのか?新約啓示録を加減しなかったか?この本に精通しているのか?」自らを顧みなければならない。 新天地がプロテスタントとカトリックの神学博士や牧者たちを見る時、皆、啓示録を加減しており、偽りの証しをした。悔い改めて再び生まれ、啓示の御言葉の中に入ることを願う。キリスト教の信仰世界は、啓示録の約束(預言)が成就したことと、その実状を信じるのか?新天地は新約啓示録(預言)の真の意味だけでなく、その実状までも精通している。そして諸教会にこれらを証ししている。新約啓示録を加減すれば天国に入れず、呪い(災害)を受けると啓22章に約束された。新天地の証しを聞いて信じ、啓示録に精通して天国に入ることを願う。 全世界の中で新天地だけが啓示録を、その実状に至るまで精通している。確認すれば分かるだろう。アーメン。

コメント