私の人生が生きて行く霊肉の世界

 



 この世には、肉的世界と霊的世界がある。肉的世界では、私は一般の人々のように考えて、食べて、生きて行く。また一方では、霊的世界(宗教世界)では、私は聖書を基準に信仰をして生きて行く。

 肉的世界での人生は、食べて、寝て、働いて、生きればいい。しかし、霊的世界の事は、高く深く終わりが見えない。霊的世界の事は、聖書の本によく現れている。聖書の本には、神様の預言(約束)が記録されている。この預言は成し遂げられた事もあり、これから成し遂げる事もある。成し遂げられた事は、昔の歴史になる。預言は神様の秘密であり、比喩たとえで記録されていて、わかりにくい。これは、敵が見て聞いても悟れないように、比喩で語られたのである。それゆえ、成し遂げる時までは、わかる者がいない。そして、成し遂げられた時は、別世界の事を言っているようで、聞く人が見る時は、それをあかしする者が精神異常者のような気がすることが多い。

 聖書の最後の本啓示録は、神様が成し遂げられる最後の働きであり、秘密の預言書である。啓示録は、だいたい比喩たとえで記録されていて、記録されてから約2千年になっても、天上天下に、その意味をわかる者が今日までいなかった。この秘密は時になってこそ、成し遂げられる事であり、神様が成し遂げて見せて下さってこそ、わかるようになる。

 この預言書の中には、背教の事件と滅亡の事件と救いの事件があり、成し遂げる時は、その預言の実体たちが現れる。この実体たちは、大きく三つ(背教者たち、滅亡者たち、救い主たち)であり、この三つの存在たちが現れて互いに争う。そして、この争い、すなわち戦争で勝利する者が、霊的世界を主管する権勢を持つことになる。

 今日、新天地は、預言した事の実体たちを見て聞いたので、見て聞いたそれをあかしするのである。新天地の約束の牧者は、肉的世界では一介の農民であったが、霊的世界では神様とイエス様から見て聞いたそれを、指示に従ってあかしするのである。

 これを聞いて見て悟って信じることで、約束した福を受けるようになる。アーメン。

 新天地は啓示の御言葉、すなわち真理で世に勝利した。これが霊的世界での新天地の勝利である。

 新天地は、はんこを押したように、新約の啓示録通り成し遂げられた。ところが、イエス様の初臨の時のエルサレムの牧者たちが、イエス様に異端と言ったように、プロテスタントなどの既成教会が、新天地にまた異端だと言ったのである。これは、彼らが新約の啓示録をわからないからである。しかし啓22章に、この本、啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると記録されている。新天地は、啓示録の実状までも精通する。しかし、改新教などの既成教会は、啓示録を知る実力が幼稚園レベルにもならない。それゆえ、みんな啓示録を加減したので、彼らがどうして天国に入るだろうか?

 異端だと迫害するならば、間違ってあかしした、それを指摘しなければならない。無条件、異端だと言う者たちは、彼ら自身が異端であり、悪魔の神の牧者たちだ。新天地は啓示録通り加減なく創造され、啓示録に精通した。啓示録が成し遂げられる事で、以前の天、以前の地がなくなって、新しい国、新しい民族である新しい天、新しい地が、啓示の御言葉で印を押されて創造された。啓示録の成就によって、一つの時代が変わったのである。それゆえ、悪魔の神を受けた者たちが、狂って騒動を起こした。彼らが聖書的根拠もなく、新天地に異端だと迫害をぶちまけたのである。しかし、ぶちまけられる迫害の中でも、新天地は啓示の御言葉、すなわち真理で勝って急成長した。新天地勝利!新天地万々歳!アーメン。

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