聖書には旧約と新約がある。旧約聖書には、神様が救い主である一人の牧者を約束された。そして新約聖書にも、イエス様が救い主である一人の牧者を約束された。初臨の時、霊であられる神様は、約束の牧者イエス様を通して、旧約をすべて成し遂げられた(ヨハ19:30)。再臨の時、霊(神霊体)として来られたイエス様は、約束の牧者(新しいヨハネ)を通して、新約をすべて成し遂げられる(啓21:6)。この約束の牧者を知っているのか?見たのか?見て聞くなら、約束の牧者であることが分かるのだろうか?信仰者は自分自身を知ろう。
今日、新約も旧約のように、ほぼ全て成し遂げられた。新約啓示録が成し遂げられる時は、啓6章の背教した選民の審判の出来事の後、啓7章のように新約の啓示の御言葉で印を押された12枝派が創造される。この12枝派に所属され、啓示録に精通してこそ救われるようになる。しかし信仰者たちはこれを分からなかった。
伝統教会(カトリックとプロテスタント)の牧者たちは、啓6章の出来事の後、7章のように再び生まれたのか?啓7章のように印を押され、12枝派に登録されたのか?啓22章に、この書、啓示録を加減すれば天国に入れず、呪い(災害)を受けると仰った。今日の伝統教会の牧者たちは新約啓示録を加減しなかったのか?皆同じようにすべて加減した。これでも天国に入ることができるだろうか?そして啓示録を加減した立場で、誰を異端だと言う資格があるのか?今のキリスト教の世界は混沌としている。
新·旧約聖書が成し遂げられる時は、預言したことの実体が現れる。その実体を証ししてくれるものは、記録された預言である。啓示録に記録された預言どおりに、その実体が現れたこと、これが、新約啓示録が成し遂げられた証拠である。預言が成し遂げられれば、その実体(実状)を知り、信じなければならない。しかし信仰者たちは、自分が聖書の約束(預言)のその実状を知らないまま、他人に「異端」だと本当によく言ったものだ。初臨の時、エルサレムの牧者たちは旧約をすべて成し遂げ、その実状に精通したイエス様に異端だと言った。イエス様が異端であったのか?イエス様に異端と言った者たちが異端ではなかったのか?再臨の時である今日も、伝統教会の牧者たちが新約啓示録の実状に精通した新天地と約束の牧者に対して異端だと言った。キリスト教の世界は本当に混沌としている。新天地は誰が異端なのかを確認するために、新天地に異端だと言った伝統教会の牧者たちに対し、啓示録を基準として大衆の前で公開聖書試験を行おうと数回提案したが、今まで一人も応じなかった。啓示録を加減した者たちが、偽りの牧者である。
私は天の御心に従い、地球村を歴訪しながら各国の前・現大統領たちに会い、兄弟関係を結び、各国の指導者級の要人(首相、最高裁判所長、国会議長、宗教指導者、各団体長)に会い、ともに地球村の戦争終息と平和を成し遂げていくことを約束してきた。しかし新型コロナウイルスのために数年間は活動を中止してきた。これからまた海外を歴訪し、平和運動を続けていく。そして新約啓示録が成し遂げられた実体と啓示の御言葉を証しする。

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