主の再臨の時には、ノアの時のように審判があるようになる

 


新約啓示録を加減すれば、天国に入れず呪い(災害)を受けると啓22章に記録されている。キリスト教徒の信仰者の皆さんは、この言葉を見なかったのか。

イエス様の初臨の時、旧約に無知であったエルサレムの牧者たちとその信徒たちは、旧約に精通したイエス様に対して異端だと言っていたが、今日は新約啓示録を加減した伝統教会の牧者たちと神学博士たちと信徒たちが、啓示録に精通している新天地と約束の牧者に対して、また異端だと言った。これがイエス様の初臨の時と、再臨の時の信仰世界の姿である。新しい時代の新しい牧者が出現した時、以前の時代の牧者たちが異端だと言って迫害することは、初臨の時も再臨の時も違いがなかった。

伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちと、その信徒たちは、皆一様に新約啓示録を加減した。啓示録を加減しておきながら、誰を異端だと言うのか。神様とイエス様に対して申し訳なく、恥ずかしくはないのか。自分たちが異端だと言った新天地は、新約啓示録に精通している。では、新天地とプロテスタント⋅カトリックのうち、誰が天国に入るのか。

旧約聖書に救い主(約束の牧者)を約束され、神様は初臨の時にイエス様を新しい牧者(約束の牧者)として現された。このように、新約聖書(啓示録)にも新しい牧者を約束され、時がきて再臨の時である今日、神様が約束された牧者を現された。しかし初臨の時、偽りの牧者たち(律法学者⋅パリサイ人たち)が、約束の牧者であるイエス様に異端だと言ったように(マタ23章参考)、今日も偽りの牧者たちがまた、新約の約束の牧者に異端だと言って迫害している。これを見なかったのか。新約啓示録には背教者たちと滅亡者たちと救い主(たち)、この三つの存在を詳しく区分して記録してくださった。しかし目の見えない者たちは、見ることができなかったのである。啓示録成就の時、救われるためには、この三つの存在の中の救い主の組織に所属しなければならず、この救い主は新約聖書に約束した牧者である。

主の再臨の時は再創造の時であり、審判の時である。新天地は新約啓示録の全章の預言の真の意味に精通し、その実体までも精通している。ゆえに今、海外の教会では新天地の啓示の御言葉を聞き、「アーメン。」と言って喜び、神様の新しい国、新天地とその聖徒として再創造されている。そして看板(教団、教会名)を「新天地イエス教証しの幕屋聖殿」に変えて掲げている。韓国の牧者たちは、どうか精神を正しなさい。新約啓示録も精通できない偽りの牧者たちが、誰を異端だと言うのか。新約聖書の啓示録に対する自分の無知と高慢が、自身を滅ぼしている。

今日、新約啓示録が完成すれば、審判があると仰った。この審判の時は、後悔してもすでに遅い。四福音書には、主の再臨の時がノアの時のようであり、この時ノアの時のように審判があることを何度も記録してくださった(ルカ17:26-30、マタ24:37-39)。伝統教会の信仰者の皆さんは、新約啓示録を加減しなかったのか。加減した者たちは天国に入ることができない。新天地は、啓示録全章の預言の真の意味だけでなく、その実状までも精通している。ゆえに新天地12枝派は天国に入るようになる。今からでも遅くないので、啓示録を加減した伝統教会の牧者たちと信徒たちは悔い改め、新天地の啓示の御言葉を学んで悟り、精通して共に天国に入るようにしよう。

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