新天地とプロテスタント・カトリックの聖書的信仰の違い

 


啓22章の御言葉に、啓示録を加減すれば、天国に入れず、呪い(災害)を受けると言われた。新天地は、新約啓示録全章の預言の真の意味と、その成し遂げられた実体まで精通する。しかし、プロテスタントとカトリックは、啓示録全章の預言とその実体までも加減した。では、新天地とプロテスタント・カトリックのうち、誰が正統であり、誰が異端だろうか。

イスラエルの民たちは、旧約聖書に約束されたメシヤ(救い主)が来られたら、彼を信じると約束した。しかし、実際に初臨の時、イエス様が約束通り救い主として来られた時は、彼を信じず、異端だとして殺す事に血眼になって、結局、十字架にかけて殺した。今日、イエス様の再臨の時にも、プロテスタントとカトリックの各教団の牧者たちが、新約聖書の約束通り、再臨のイエス様が来られたら、信じる事を約束した。イエス様は、啓1,2,3章のように、霊(神霊体)で来られ、新約啓示録を成し遂げられ、約束の牧者を選ばれて(啓1:17-19,2-3章)、啓示録の事件の現場とその成し遂げられた実体を、全て見せて下さり、これを諸教会に証しするようにさせた(啓22:8,16)。しかし、プロテスタントとカトリックの牧者たちは、イエス様が再臨された事とその成し遂げた事を信じず、また、イエス様が遣わされた約束の牧者を殺す事だけに血眼になった。新天地は、新約啓示録が成し遂げられた事と約束の牧者の証しの御言葉を信じて悟って、啓示録の通り印を押されて創造され、啓示録の実体まで精通する。これが、新天地とプロテスタント・カトリックの聖書的信仰の違いである。

今、新天地とプロテスタント・カトリックが戦う理由が何なのか。互いが互いに異端だと言っているからである。それゆえ、新天地がプロテスタント・カトリックに、(加減してはいけない)新約啓示録を基準にした100問題で、大衆の前で公開試験をして、誰が異端であり、誰が正統なのか確認しようと、何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。これは、彼らが、新約啓示録に無知で、試験に勝利する自信がないからである。では、誰が試験に勝利したのか。新天地が、プロテスタントとカトリックに、真理(啓示の御言葉)で勝利した。勝利する自信があるならば、プロテスタントとカトリックは、今からでも公開聖書試験に応じよ。そして、勝利する自信がなければ、啓示録に精通する新天地に学べ。

啓示録22章には、この本を加減すれば、天国に入れず、呪い(災害)を受けると言われた。新天地は、新約啓示録全章の預言の真の意味とその成し遂げられた実体まで精通する。しかし、プロテスタントとカトリックは、啓示録の真の意味と、その実体がわからないので、啓示録全章を加減した。新天地とプロテスタント・カトリックのうち、誰が正統であり、誰が異端なのか。また誰が天国に入って、誰が地獄に行くだろうか。答えてみよ。

新約の啓示の御言葉で印を押されて(啓7章)、啓示録に精通する新天地12枝派が正統であり、天国に入るようになる(啓7章、14章、15章、21章、22章参考)。新天地とプロテスタント・カトリックの聖書的信仰の違いは、その結果が、それぞれ天国と地獄である。この言葉(あかし)が正しいのではないのか。

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