「私は、新約聖書の啓示録が言う誰なのか。 私は本当に、啓示録通りに創造された人なのか。」
イザヤ書に記された旧約の約束の牧者は、見とれるような姿も輝きもなく、人々が慕うような見ばえを持たない姿であった(イザ53章参照)。新約の約束の牧者である私も、世俗的な目から見ればあまりにも不足で、至らないため、神様に恐縮である。しかし今日、イエス様が霊(神霊体)として再臨され(啓1章)、新約啓示録を成就される時、私はそのそばで全てを見て聞いたので(啓22:8)、この世の誰一人として知らない新約啓示録の真の意味とその実状(実体)に精通している。イエス様は、啓22章8節、16節の御言葉の通り、私が見て聞いたことを世(キリスト教界)に知らせるよう言われた。
私は開かれた啓示録の書を受け取り(啓10章)、啓示録全章の成就をすべて見て、私が見て聞いたことをすべて証ししてきた(啓22:8, 16)。初臨のイエス様は12弟子たちと共に働いてこられた。また、ある女性が自分の財産をもってイエス様の福音宣教を支援し、奉仕し(ルカ8:2-3)、イエス様の死と復活を、すべてを目撃した証人であった(マタ27:45-56、マル16:9、ヨハ20:1-18参照)。そして、約束の牧者としての私の目的は、私が見て聞いたことをすべての人々に知らせることである。私の心は、神様の働きをよくしたいということだ。そこで、私にもこの働きを助けてくれる人が必要だった。神様は私の不十分なところを知っておられ、その時ごとに手足のような一人の人を与えてくださった。そして、私は新約啓示録について証しした言葉に矛盾があれば、それを指摘するようにと幾度も言ったが、まだ誰一人も指摘したことはない。
啓22章には、この書、啓示録を加減すれば、天国に入ることができず、呪い(災難)を受けると言われた。私が見たこの世のキリスト教徒たち(プロテスタントとカトリック)は、皆一様に新約啓示録をすべて加減した。それにもかかわらず、プロテスタントとカトリックの牧者たちは、「神様とイエス様を信じるだけで天国に入れる」と聖徒たちに言っている。しかし、新天地は新約啓示録の全章を、その実体に至るまで精通している。その昔、初臨の時、エルサレムの牧者たちが旧約聖書に精通するイエス様に異端、悪魔と言ったように、今日ではプロテスタントとカトリックの牧者たちが、新約の啓示録を、その実体まで精通する新天地に、また異端と言った。プロテスタントとカトリックは、まるで迫害をするための人々で作られたようだ。
今日、新約啓示録はほぼ成し遂げられた。啓示録の約束通り、啓7章のように新約の啓示の御言葉で印を押され、新天地12枝派に所属し、啓示録に精通した者ならば、天国に入ることができる。したがって、天国を希望する信仰者であれば「私は新約啓示録が言う誰なのか。私は啓示録通りに創造されたのか。私は啓示録に精通しているか。 加減していないか。」と自らを省みるべきである。啓示録を加減したプロテスタントやカトリックは、自分たちが異端だとした新天地に来て学び、啓示録に精通し、守り、天国に入る者となるよう祈る。
新天地は新約啓示録のその実体までも精通している。確認してみれば分かるだろう。

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