旧約と新約、四福音書と啓示録は、それぞれどのように違うのか

 


旧約は、イエス様が生まれる前に、神様が旧約の預言者たちを通してイスラエルの民と結んだ約束であり、イエス様の初臨の時にすべて成し遂げられた(ヨハ19:30)。新約は、初臨のイエス様が、神様とイエス様を信じる者たちと結んだ約束であり(ヨハ1:11-13、ルカ22:14-20、ヘブ8:10-13参照)、再臨の時に成就する将来の事が記録されている。新約啓示録は、再臨の時である今日、ほぼすべて成し遂げられた(啓21:6参照)。新約の核心は啓示録であり、啓示録(預言)の内容に関連する内容が、新約の四福音書の至る所に現れている。

啓22章を見たところ、新約啓示録を加減すれば天国に入ることができず、呪い(災難)を受けるとおっしゃった。伝統教会の神学博士や牧者たちは、新約啓示録を加減しなかったのか。皆、加減した。ならば天国に入ることができず、地獄に入ることになる。

初臨の時、エルサレムの牧者たちが、イエス様に異端、悪魔だと迫害し、結局イエス様を殺した。彼らが天国に入れるだろうか。今日では、プロテスタントとカトリックが、新約啓示録に精通している新天地に、また異端、悪魔だと迫害し、呪った。そこで、新天地は彼らに、新約啓示録を基準として、大衆の前で公開試験を行い、異端と正統を区別しようと幾度も提案したが、いまだに一人も応じなかった。彼らが新天地に勝つことができるだろうか。今からでも新約啓示録を基準に試験を行えば、新天地が百回勝つ自信がある。だから新天地が真理(啓示の御言葉)によって勝ったのだ。一体誰が本当の異端なのだろうか。

新約啓示録を加減しておきながら、誰を異端と呼ぶ資格があるというのか。真の異端は、新約啓示録を加減した、プロテスタントやカトリックの神学博士や牧者たちではないのか。そして、この偽りの牧者たちの下で、彼らの嘘に「アーメン」と言って従うその信徒たちが、本当の異端ではないのか。顔が厚かましい神学博士や牧者たちは、事実がこうであるにもかかわらず、異端という言葉がその口から出るのか。悪魔の顔でなければ、どうして啓12章の赤い竜のような顔で大衆の前に出てこられるだろうか。キリスト教界はまさに混沌としている。

主の再臨の時であり、啓示録が成就する時である今日は、新約啓示録を加減なく精通し、信じて守ってこそ、天国と永遠のいのちを得ることができる。

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