啓7章の印を押された12枝派と、啓22章の啓示録を加減した者たちは、それぞれ誰なのか

 


啓7章の12枝派は、主の再臨の時に、新約の啓示の御言葉で印を押された者たちであり、天国に入るようになる。しかし、啓22章のように啓示録の御言葉を加減した者は、天国に入ることができず、呪い(災害)を受けると仰った。信仰者の皆さんは啓示録を加減しなかったのか?「主よ主よ」と言うからといって、皆が天国に入るのではなく、神様の御心通りに行ってこそ入ることになる(マタ7:21)。

新天地に「異端、異端」と言う牧者たちは、新約啓示録を加減しなかったのか?

初臨の時、エルサレムの牧者たちは、イエス様に対して「異端、悪魔」と言ったが、今日では、伝統教会(カトリックとプロテスタント)の牧者たちが、啓示録に約束された牧者に対して、また「異端、悪魔」と言った。啓示録を加減し、偽りの証しをする自分たちのように「異端、異端」と言ってこそ、天国に入れるというのか?そこで新天地は、カトリックとプロテスタントに、啓示録を基準に大衆の前で、公開試験を行い、誰が異端で、誰が正統なのか確認してみようと提案したが、今まで一人も応じなかった。これは新約聖書の啓示録に無知であり、試験に勝つ自信がないためである。

新天地とプロテスタント・カトリックのうち、誰がこの書、啓示録を加減したのだろうか?新天地が見る時には、プロテスタントとカトリックは一様に啓示録を加減した。プロテスタントとカトリックが、啓示録に精通している新天地に対して異端と言ったので、公開聖書試験を行い、異端と正統を区分しようと言ったのに、なぜ応じないのか?彼らがまさに、新約聖書に書かれている偽りの牧者たちではないのか?新天地は新約啓示録(預言)の真の意味だけでなく、その実体までも精通している。ならば、誰が異端で、誰が正統なのだろうか?

啓7章の啓示の御言葉によって、印を押された新天地12枝派が正統であり、天国に入ることになり、啓22章18-19節のように啓示録を加減したプロテスタントとカトリックは、異端であり、天国に入ることができない。これは新約聖書が証明している。

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