啓6章と7章は今日、韓国で成し遂げられた

 


啓示録は、使徒ヨハネがパトモス島に流刑されていた時に、イエス様の啓示を受けて記録した書である。この書が記録されてから約2千年が経っているにもかかわらず、その意味と実体を知る者はこの世に一人もいなかった。しかし今日、イエス様が再臨され、新約啓示録を成就され、その実体(実状)が現れた。その実体の中で重要なものが、神様の印を押されて創造された12 枝派である(啓7章、14章)。啓6章の背教した選民たち(以前の天と以前の地)が審判を受けてなくなり、啓7章で新約の啓示の御言葉によって印を押され、新天地(新しい天と新しい地)の12枝派が創造された(啓21:1参照)。この書、啓示録も啓示を受けて記録されたので、この書の実状も啓示を受けることによって知ることになるだろう(啓22:8、16参照)。

この書啓示録を加減すれば天国に入ることができず、呪い(災難)を受けると啓22章に記録されている。しかし韓国のキリスト教徒たちは『新約啓示録』についてあまりにも無知である。

今日、再臨のイエス様は、啓示録を成就した出来事の現場と、その現れた実体を、選ばれた約束の牧者(啓1 章、啓2-3章参照)にすべて見せてくだり、これを諸教会に証しさせた(啓22:8、16)。しかしこの書、啓示録の実体について証しすると、伝統教会の牧者たちとその信徒たちは、まずその証しする者を異端だと考える。しかしこれは、彼ら自身が新約聖書に対する知識がないためである。自らが新約啓示録について知らないのに、啓示録の実体を証しする者が、異端か三端かどうして知って「異端、異端」と言うのか。このままだと、イエス様が来て、啓示録を証しするとしても、初臨の時エルサレムの牧者たちがイエス様に異端だと言ったように、また異端と言うだろう。

伝統教会の牧者たちと神学博士たちと信徒たちは、本当に新約啓示録を加減しなかったのか。加減したかしなかったかについては、啓示録の基準で公開試験を一度受けてみれば分かるだろう。新約啓示録には、この書の御言葉を加減すれば天国に入ることができず、呪いを受けると、啓22章に記録されているので、自らの信徒たちがこの啓示録を加減して、天国に行けなくなった責任は、その担任牧師が負わなければならないだろう(マタ15:14参照)。加減なく知るべき啓示録を知らないのに、信徒たちが「異端」という言葉をどこで学んでそんなに上手なのか!おそらく「異端」という言葉をよく言う牧師から学んだのだろう。

伝統教会の牧者たちは、自分たちも新約啓示録を知らないのに、自分の信徒たちが啓示録を学びに新天地に行こうとすると、異端だと言って行かせなかった。啓示録を知らないのに「異端、三端」という言葉は、なぜそんなに良く知っているのか。啓示録について話すだけで、無条件に異端だと言った。自分自身が異端だから、心の中にある「異端」という言葉が外に飛び出して「異端」と言うようだ。彼らはマタイ13章の二種類の種のうち誰の種で生まれたのか。啓示の御言葉を聞いて学び悟り、神様の種で新たに生まれよ。

今日、新約啓示録が成就し、啓6章の選民の審判の後、啓7章で神様の新しい国、新天地12枝派が創造された。この出来事は大韓民国・果川で成し遂げられた。新約啓示録全章の出来事を全て見て聞いた(啓22:8、16) 者は、新天地の約束の牧者新しいヨハネだけであり、彼が見て聞いた啓示録の実体たちを証ししている。新天地が証しする真理の中に入って来なさい。ここ新天地でイエス様が待っておられる(啓21-22章)。アーメン。

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