聖書の約束が成し遂げられても習慣的に信じない無知な信仰者たち

 

新約啓示録を加減したら、天国に入ることができず、呪い(災難)を受けると啓22章に記録されている。伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちと神学博士たちは、啓示録を加減しなかったのか?私が見たところ、皆この本、啓示録を加減した。ならば皆天国に入ることができず、呪いを受けるであろう。新約聖書は破棄されるものではない。

新約啓示録が成し遂げられているこの時、新天地は啓示録通りに創造され、啓示録(預言)の真の意味だけでなく啓示録全章の実状まで精通する。ところが初臨の時、エルサレムの牧者たちがイエス様にしたように、プロテスタントとカトリックの牧者たちは、新天地にまた「異端、異端」と叫んだ。イエス様の初臨の時も、再臨の時である今日も「異端、異端」と言う者たちが真の異端である。プロテスタント・カトリックと新天地のうち、誰が異端で、偽りの牧者たちなのか。啓示録を加減したプロテスタント・カトリックが異端であり、偽りの牧者たちである。新天地とプロテスタント・カトリックが同じ場で、新約啓示録を基準に公開試験を受けてみれば、誰が異端か分かるだろう。新天地は大衆の前で公開聖書試験を行い、正統と異端を区別しようと幾度も提案したが、未だに一人も応じていない。これは彼らが聖書に無知で勝つ自信がないからである。ならば新天地が真理(啓示の御言葉)で世に勝ったことになる。アーメン。

プロテスタントとカトリックは新約啓示録を加減した上に、嘘までついた。プロテスタントとカトリックに御言葉(真理:啓示の御言葉)がなくて、その聖徒たちが御言葉のある新天地に集まった。プロテスタントとカトリックは、自分の聖徒たちが新天地に御言葉を学びにいかないよう、新天地が異端だと聖書に合わない嘘までついた。啓示録を加減し嘘までついたこの罪が赦されるだろうか。

今日、神様と私たちとの約束は新約啓示録であり、神様とイエス様は新約啓示録を成し遂げられるのであり、私たちはその成し遂げられたことを信じるのである。今日、神様とイエス様が、約束された預言を成し遂げられ、約束の牧者を通して証ししても、伝統教会の牧者たちが信じないので、イエス様の初臨の時と何が違うのか。イエス様の初臨の時、神様が、イエス様を通して旧約を全て成し遂げられても、当時の旧約聖書に無知なエルサレムの牧者たちが信じなかったように、 再臨の時である今日、イエス様が約束の牧者を通して新約啓示録を全て成し遂げられても、新約聖書に無知で信仰のない伝統教会の牧者たちと、その聖徒たちは信じなかった。彼らが偽りの牧者であり、偽りの信仰者である。初臨の時も再臨の時も、聖書の約束が成し遂げられても、信仰世界は無知な信仰者たちが習慣的にこれを信じなかった。

今日、天国と救いを希望する信仰者ならば、新約啓示録(預言)の真の意味を知ってこそ、その成し遂げられた実体を悟り、信じることができる。アーメン。

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