初臨の時、イエス様はご自分に従う者たちによく「信仰の薄い人たちよ」と仰った。今日の再臨の時(新約啓示録の時)、信じる者がいるだろうか。ルカ18:8を見ると、イエス様は「人の子が来たとき、信仰(を持つ者)が見られるでしょうか」と仰った。
新約啓示録(預言)の意味も、その実体も知らないのに、どうして信じられるのだろうか。しかし彼らは、自分自身については知らないのに、自分の所属でない他人には「異端、異端」と言った。キリスト教の世界は混沌としている。新約啓示録を加減すれば、呪い(災害)を受けると啓22章に記録されている。しかし、啓示録が記録されてから約2千年が経ったが、伝統キリスト教会の信徒の中でその意味に精通する者は一人もいなかった。ならば、彼らの中で一人も天国に入る者はいない、ということである。
伝統教会の神学博士たちと牧者たちは、言葉は実に聖なるもののように語るが、彼らが証しする言葉と信仰は偽りであった。啓示録を加減した伝統教会の牧者たちと神学博士たちが「異端、異端」と最も多く叫んだ。その昔、初臨の時のエルサレムの牧者たちが、旧約に精通したイエス様に異端だと言ったが、今日、伝統教会の牧者たちが、新約啓示録の実体まで精通する新天地に、またも「異端、異端」と言った。そこで新天地が、彼らに大衆の前で啓示録を基準に公開聖書試験をしようと数回提案したが、いまだに一人も応じていない。なぜ試験に応じなかったのだろうか。それは彼らが真理(啓示の御言葉)で勝つ自信がないからである。
伝統教会の牧者たちと神学博士たちは、再臨のイエス様がいつ、どのような過程で、どこに来られるのかも知らないのに、「異端」と本当によく言った。彼らを喜ぶ者は悪魔のようである。なぜか。偽りが上手だから(ヨハ8:44 参照)。
啓示録を加減すれば天国に入れず、呪いを受けると仰った。よって、啓示録を加減した牧者たちも、その信徒たちも天国に行けず、呪いを受けるだろう。この牧者たちは、真理のための牧者であるのだろうか、それとも生きるための手段として牧会をする牧者たちなのだろうか。生きるための手段として牧会をする牧者たちである。
イエス様は再臨の時、信仰を持つ者が見られるだろうかと仰った。啓示録成就の時である今日、啓示録の約束通りに創造された新天地12枝派に所属し、啓示録に精通してこそ天国に入ることになる。信仰の薄い人にならず、新天地が証しする啓示の御言葉を信じ、啓示録に精通して共に天国に入るようにしよう。

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