私は聖書が言う誰なのか

 


- 啓6章に属した人なのか、啓7章に属した人なのか -

「私(信仰者)は、新約聖書の啓示録が言う誰なのか?啓6章に属した人なのか、啓7章に属した人なのか?新約啓示録を加減しなかったのか?(啓22章)私が、啓7章の印を押された12枝派に所属されず、新約啓示録を加減したにもかかわらず、天国に入る準備が全てできたように高慢ではなかったのか?」新約聖書を鏡にして、自分をまず知って、間違った事は直さなければならない。

私(約束の牧者)は、啓示録を読むたびに「この本は、再臨の時である今日、成し遂げられる設計図だ」と考えてきた。啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた(啓22章)。今日、啓示録に精通する新天地に、異端だと言う伝統教会(プロテスタントとカトリック)の神学博士たちと牧者たちは、この本、啓示録を加減しなかったのか?彼らは、みんな加減した。啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろいを受けると記録されているにも関わらず、彼らは自分自身を知らず、自分の所属ではない者たちに異端だと迫害する事には、熱心を尽くした。「牧者たち、この言葉が合っていますね?」

今からでも新天地に異端だと言ったプロテスタント・カトリックと新天地が、新約啓示録を基準にした100問題で公開聖書試験をして、異端と正統を区分してみよう。なぜ、新天地が提案した聖書試験に応じないのか?神様が見て聞いておられる。新天地は、百回勝利する自信がある。

プロテスタントとカトリックは自称正統と言うが、マタ24章でのように正統ではなく、無知な者(異端、偽りの牧者たち)であった。これでも、なぜ自分たちの間違った考えを直そうとしないのか?彼らは啓示録が成し遂げられた事実を知りながらも、悪魔の神に捕えられ、真理(啓示の御言葉)に出て来られないでいる。真理の前に出て来て、真理で啓示録に精通してみよ。啓示録はみな同じ一冊であり、啓示録に精通した者は天国に、精通できない者は地獄に入ると言われた(啓22章)。なぜ、これを信じないのか?

啓6章の腐敗して審判される以前の時代の人にならないで、啓7章の印を押された12枝派に所属して啓示録に精通して、一緒に天国に入るようにしよう(ルカ13:22-30参考)。

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