異端は新約啓示録の約束とその成し遂げられた実状を信じない者である

 


啓示録が記録されてから約2000年になっても、その意味をわかる者は、この世に一人もいなかった。しかし、主の再臨の時である今日、新約啓示録が成し遂げられて、その実状(実体たち)が現れ、イエス様が啓示録を成し遂げられる現場で、全て見て聞いた約束の牧者が、諸教会に啓示録の実状とその啓示の御言葉を証ししている。啓22章に見たところ、啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。伝統のキリスト教(カトリックとプロテスタント)は、この本、啓示録を加減しなかったのか?みんな加減した。では、このままでは天国に入れず、のろいを受けるだろう。これは、新約啓示録の約束である。なぜ、これを信じないのか?なぜ、その意味をわからないのか?新約啓示録を加減した者たちが、誰を異端だと言う資格があるのか?「異端、異端」と言う者たち、自分自身が異端ではないのか?本当にキリスト教の世界は、奇妙な世界である。

今日、新約聖書の約束を信じず、離脱した事が、キリスト教における異端である。誰にでも異端と言う言葉は、道理に合わない「頭のおかしい者たち」の言葉である。

今の伝統のキリスト教の世界は、皆一様に啓示録を加減した。それゆえ、みんな異端である。今日であっても新約啓示録の御心通り創造されて、啓示録に精通した者が正統である。

新約の啓7章以前の人々(啓6章の人々)と、啓7章で印を押された者は、根本的に種が違う。啓7章の人々は、神様の種で新しく生まれた者たちである。これは、神様と新約啓示録に問うてみよ。
新約啓示録の約束は、啓7章で印を押された者たちで神様の新しい国、新しい民族を立てる事である。新約の啓7章で印を押されなかった者は、みんな異端である。初臨の時も、旧約を成し遂げた啓示の御言葉で印を押されなかった異端たちが、神様の印を押されて(ヨハ6:27参考)旧約に精通したイエス様に「異端、異端」と言った。誰がまことの異端であり、誰がまことの正統だという事なのか?神様の御心通り行わなかった者が異端なのか、その御心通り行った者が異端なのか?新約啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろいを受けると言われた。カトリックとプロテスタントの皆さん、新約啓示録を加減しなかったのか?加減したならば、異端であり、天国に入れない。天国に入れない者は、何端であり、天国に入る資格者(啓示録に精通する者)は、何端なのか?その昔、イエス様に異端と言った者たち、今日、新天地に異端と言った者たちは、みんな異端である。これは、聖書が証明する。

旧約の約束と、その成し遂げられた実状を信じなかった者たちが、異端であるように、今日、新約啓示録の約束とその成し遂げられた実状を信じない者たちは、みんな異端である。そして、新約啓示録の約束とその成し遂げられた実状を信じる者たちが、まことの正統である。アーメン。

コメント