-以前の天と以前の地はなくなり、新しい天と新しい地の創造-
新約啓示録が記録されてから約2000年が経つが、神様が七つの封印で封じて手に持っておられたため、この預言は今日まで成就されていなかった。それゆえ今日まで、その預言の真の意味とその実状を知る者はいなかった。しかし、この本が開かれて成就する時には、以前の天と以前の地は消え去り、新しい天と新しい地が創造されると記されている。啓5章でイエス様が封印されたこの本を受け取られ、啓6章でその本の封印を解いて開かれた時、天の太陽・月・星が暗くなり地に落ちると言われた。これがキリスト教の末世である。七つの封印で封じられた本が開かれる時、啓6章のように先天世界が裁かれた後、啓7章のように新しい国、新しい民族が創造される。ゆえに啓6章は一つの時代の終末を語ったものであり、啓7章は新しい時代の新しい国、新しい民族である新しい天と新しい地が、印を押され創造されることを預言したものである。このことを聞いて見た者は誰か。そして彼が伝えることを聞いて悟り、信じたか。
この本が開かれるときは、一人の人が啓10章のように本を受け取り、啓22章のように啓示録全章の出来事をすべて見て聞き、証しすることになる(啓22:8, 16)。この本、啓示録が成就するのを見て聞いた者は、イエスが新約で約束した一人である。したがって、この啓示録の実状は、すべてを見て聞いた、その一人だけが知っており、その人だけがこの本の実状を証しすることができる。この時、彼を見て、初臨の時、ユダヤ人たちがイエス様にしたように、また異端と言わないだろうか?今日の伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者と、その信徒たちは、初臨の時のユダヤ人たちのように、また新約の約束の牧者を異端だと言って迫害し、殺そうとする(啓11章)。だから、証しする時も慎重に、また慎重にしなければならない。牧者という名目で無条件に「異端、異端」と言う者は、今日の偽りの牧者である。世の中は、誠に不可解極まりないものだ。
啓22章には、この本、啓示録を加減すれば天国に入ることができず、呪い(災難)を受けると警告している。プロテスタント、カトリックの牧者たち、神学博士たちは新約啓示録を加減しなかったのか?皆加減した。それにもかかわらず、新約啓示録に精通した新天地に、昔初臨の時、エルサレムの牧者たちがイエス様にしたように、また異端だと言った。誰が聖書的な異端であり、誰が聖書的な正統であろうか?
キリスト教の聖書の御言葉ではなく、自らの教団の次元で定めた牧者たち、神学博士たちは認めることができない。そこで新天地は、プロテスタントとカトリックの牧者たちに、新約啓示録を基準とした100問の公開試験を行い、異端と正統を確認しようと幾度も提案したが、未だに一人も応じていない。なぜ公開試験に応じないのか?啓示録の試験に勝つ自信があれば、試験に応じるだろうし、自信がなければ応じないだろう。今の現実を見れば、啓示録の試験で新天地が勝利したのである。
啓示録を加減すれば天国に入ることができず、呪いを受けると言われた。ならば新約啓示録の全章を加減したプロテスタントとカトリックは、天国に入ることができず、啓示録全章の実状まで精通する新天地は、天国に入るであろう。この言葉は嘘だというのか。この言葉が正しいなら、これはカトリックとプロテスタントには救いがないという証拠である。この言葉は正しくないのか。
新約啓示録が成就する今日、啓6章のように、以前の天と以前の地が裁かれて無くなり、啓7章のように、新しい天と新しい地、すなわち印を押された新天地12枝派が創造された。啓示録成就の時には、新約啓示録通りに創造され、啓示録に精通する新天地12枝派に所属してこそ救いがある。アーメン。

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