旧教と新教の信仰心

 


 「初臨のイエス様以前(旧教:ユダヤ教)」とイエス様の出現以後、すなわち「イエス様初臨の時(新教:イエス教=キリスト教)」の信仰心はどのように違うのか? また、イエス様の初臨の時(旧教:イエス教)とイエス様の初臨の後、約2,000年経った今日、「再臨の時(新教:新天地イエス教会、略称新天地)」の信仰心はどのように違うのか?

 神様は、人間世界の腐敗があるたびに、その時代を審判され、新しい時代を開かれた。再臨の時はノアの時、ロトの時と同じと言われたので(ルカ17:26-30)、すなわち審判があるだろう。このような内容が記録されたのが新約啓示録である。

 初臨の時のように、新約啓示録の成就の時である再臨の時の戦争も、この世の肉的な戦争ではなく、霊的な戦争である。そのため、初臨の時に背教者と滅亡者と救い主が出現しても、肉に属する者たちは、これを知らなかった。新約啓示録の成就の時である再臨の時も、背教の働き、滅亡の働き、救いの働きがある。そして、背教者と滅亡者と救い主が出現しても、新約啓示録の真の意味を知らない者たちは、その成就した実体を見ても、これを分からない。初臨の時も、再臨の時も同じである。

 今日、新約啓示録の実状(実体)を見た者と、彼を通して新約啓示録に精通した信仰者は、啓示録が成就した現実をよく分かるだろう。そして、今日の信仰世界の現実をよく分かるだろう。

 イスラエル民族は旧約に預言された救い主を待った。しかし、初臨の時に救い主であるイエス様が来られても見分けられず、イエス様を殺した。今日、キリスト教の信仰者たちも救い主(再臨のイエス様と約束の牧者)を待っている。しかし、イエス様は再臨の時に信仰を持つ者が見られるかと言われた(ルカ18:8)。これは、再臨の時も初臨の時と同じように、また異端だと迫害することを暗示されたのである。信仰者はまず、自分が聖書が言う誰であるかを知り、預言の真の意味と、その成し遂げられた実体を知ってこそ、再臨のイエス様と、またイエス様が送った約束の牧者を見つけられるだろう。新約聖書に無知であれば、また初臨の時のように迫害するだろうし、啓11章のようなことが起こるだろう。

 「牧師さんたちと聖徒の皆さん、新約聖書に精通されていますか? 精通できなければ、また初臨の時のように救い主である約束の牧者を迫害することになります。 初臨の時のイエス様は私たちと同じ肉体の人だったし、再臨の時、霊で来られたイエス様が送られた約束の牧者も肉体の人です。初臨の時も再臨の時も、封印された聖書(旧約の預言と新約の預言)の開かれた本(エゼ3章、啓10章)を受け取って来て、預言を成す方が約束の牧者です。新約聖書のこの約束の牧者が今日、新約啓示録が成し遂げられた実状を証ししています。これを信じる信仰がありますか?」

 旧教と新教の信仰心はどう違うのか? 初臨の時の旧教である、旧約時代のユダヤ教の信仰者たちは、モーセの律法に縛られていた。それで旧約に預言された救い主を待ったが、初臨の時、いざ救い主であるイエス様が現れた時には、旧約の真の意味を知らず、イエス様とその証(新教の証)を信じられなかった。今日、伝統教会であるプロテスタント・カトリック(旧教)は、旧約が成し遂げられた啓示、天の福音は信じるが、新約啓示録通りに創造された新天地イエス教会(新教)が証しする啓示の御言葉を信じられない。 その理由は、旧教の人々が腐敗し、変質したからである。

 知識と信仰心の差で見ると、モーセの律法時代(ユダヤ教)より、旧約を成就したイエス様の天の福音時代(イエス教)の方がよりよいものだった。 そして、イエス様の天の福音時代より、今日の啓示録が成就した再創造啓示時代(新天地イエス教会)の方がより良いのである。これは確認してみれば分かるだろう。

 今は預言の時ではなく、新約啓示録を成就した実状時代である。今日、新約啓示録通りに出現した新教である新天地が証しするこの証は偽りではなく真である。預言が成し遂げられ、その実体が現れたのだから、偽りの証があるだろうか。 預言とその成し遂げられた実状を確認し、信じて天国に入ろう。アーメン。

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