啓示録を加減すれば天国に入れず呪い(災害)を受けると仰った(啓22:18-19)。啓示録の成就の時である今日、信仰人たちは啓示録を加減したのか、加減しなかったのか?聖書は冗談ではなく、神様の約束だ。天国と地獄がこの本一冊に約束されている。
新約啓示録の中には背教者たち、滅亡者たち、救い主と救いを受ける者たちが記録されている。信仰人たちは彼らを分別して救い主のところに属し、救いを受ける者たちになるべきだろう。記録されているところ、この本、啓示録を加減すれば天国に入れず呪いを受けると仰った。しかし、啓示録を加減した牧師たちと神学博士たちが、このことの結果について心配しないことは、約束の御言葉に関心がないという意味のようである。この世の中では新天地の他に、啓示録を加減しない者は1人もいない。神様が啓示録を全て成し遂げられて、今日にでもオールストップ(all stop)されたら、新天地人たちの他に天国に入る者がいるだろうか?
イエス様は今日をノアの時、ロトの時のようだと仰った。ノアの時、ロトの時は少数の救われた者がいたが、今日啓示録を加減したカトリックとプロテスタントのうち、救いを受ける者が1人でもいるのかと思う。神様の約束の御言葉は絶対的なものであるので、その御言葉通りになるだろう。それにもかかわらず、この世のキリスト教徒たちが啓示録を加減しても、何の心配もせずにいる。しかし、約束の御言葉通りになるだろう。
新天地は新約啓示録に精通する。そして、その約束を守る。しかし、知っていながらその御心通りにしないなら、むしろ知らないほうがましだろう。悟ってその御心通りにすれば、福の中の福を受けるだろう。自称正統であることを自慢するプロテスタントに、啓示録について質問すれば、その答えを言えるだろうか?口先だけの信仰をする者は罰を受けるだろう。神様の約束の御言葉を信じて行わなければならない。新天地に異端だと言う牧師たちに、啓示録を基準とした公開聖書試験を受けて、誰が異端なのか確認しようと言ったが、1人も応じなかった。
再臨の時である今日は、ノアの時、ロトの時と同じだと仰った。ノアの時とロトの時の人々は、時を悟れず「食べたり、飲んだり、めとったり、とついだり、売ったり、買ったり、植えたり、家を建てたり」しながら、何の心配もしなかった。救いを受けることを願う者は、今日が啓示録の成就の時であることを知り確認して、救い主である新天地の約束の牧者の証しを聞いて、啓示録に精通して、天国に入るようにしよう。アーメン。

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