初臨の時、光として来られた(ヨハ12:46)イエス様が行かれた後、今までこの世は光がない夜だった(ヨハ9:4-5)。ヨハ1章1-5節を読んでみたところ、光はすなわち、いのちの御言葉であり、この光が暗やみに輝いても暗やみが悟れなかったと言った。なぜ、牧師たちはこの警告の御言葉を信じないのか?
約2千年間、啓示録は封じられたまま神様の手にあったので、天上天下にその意味をよく知る者がいなかった。今日イエス様が、この封じられた本の封印を解いて、開いて成し遂げられる事で啓示録の実状が現れて、イエス様が成し遂げられる時、そばで見て聞いた新しいヨハネ(約束の牧者)が、啓示録の預言とその実状をあかししている。それゆえ、暗やみの世に光が照らされるようになった。
啓22章には啓示録を加減すれば、のろい(災害)を受けると言われた。ところが牧師たちは、加減しても加減していないように、自分の聖徒たちに偽りを話した。
啓示録を加減した者が、誰を「異端、三端」という資格があるのか?牧師、神学博士たちは、みんな加減したので、悔い改めて啓示録に精通する新天地に来て、加減なく学んでこそ、生きる道が開かれるだろう。啓示録の御言葉で確認試験を受けてみれば、この言葉が事実である事がわかるだろう。
新天地が御言葉集会をする時、プロテスタントの牧師たちが多く集まって来る。牧師たちは、この時聞いた御言葉を説教に利用しながらも、神様の中に入ってこない。新約の啓示録には啓示録の成就の時、神様の所属がどこなのかを教えて下さっている。しかし、新天地の御言葉集会に出席して、聞いた御言葉をよく利用しながらも、所属は昔の所属そのままならば、約束の国にも民にもなれない。啓示録が全て成し遂げられるならば、すぐに審判が始まる。この時、どんな弁明をする事ができるのか?この答えはルカ13章にある。偽りを真理とするカトリックとプロテスタントの偽りの牧者たちと偽りの教徒たち、このにせものの信仰者たちを啓6章のように審判して、啓7章のように神様の新しい国の創造を再び始めなければならないので、今そのようにしている。
今、我が国(韓国)の状況はソドム、ゴモラの事件の時と同じだ。しかし、キリスト教徒たちが悔い改めずにいる。臨津角(インジンカク)11万修了式の行事を、なぜできないように妨害したのか?その代価は、今私たちの目で見ている。新天地イエス教会は、昔から伝わる旧時代の教会でも聖徒たちでもなく、新約の啓示録成就の時、啓7章と14章のように創造された新しい国、新しい民族である。この新しい天民たちに罪を犯せば、神様からの罰を免れない。関係当局とキリスト教が一つになって、新天地11万修了を妨害した後から、我が国(韓国)が大きな危機に直面している事は見てのとおりである。悔い改めよ。啓示録の約束通り審判が成し遂げられている。アーメン。

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