- 道を備える者と約束の牧者 -
初臨の時の道を備える者は、バプテスマのヨハネであった。再臨の時の道を備える者は、啓1,2,3章の七つの金の燭台の教会の七人の使者であった。これは、聖書が証明している。
道を備える者が出現して働いた後に、続いて約束の牧者が出現する。道を備える者は約束の牧者が、すぐに来られることを証しした。ゆえに、主を待ち望む聖徒たちは約束通り来られる主を迎えなければならなかった。イエス様は、初臨の時は肉体で来られた。再臨の時は霊で来られて、肉体(人)を用いて働かれた。これは、新・旧約聖書が証ししている。それゆえ、聖徒は新しい契約の約束の御言葉通り来られる主を迎えなければならない。
初臨の時も再臨の時も、約束の御言葉がわからなければ、来られる主に気づけないだろう。来られる主をよく知って悟ろうとすれば、約束の御言葉がわからなければならない。しかし、主を待ち望む聖徒は約束の御言葉がわからず、来られる主をわからなかった。道を備える者が、先に来たのは、後に来られる主をわからせるためである。しかし、初臨の時も、再臨の時も、道を備える者たちがきちんと教えられなかった。なぜ、確実に教えられなかったのか?
初臨の時のバプテスマのヨハネも、来られたイエス様を疑い(マタ11章)、再臨の時の道を備える者である啓2-3章の七つの金の燭台の幕屋の七人の使者たちも、再臨の主を確実に証しできなかった。かえって、サタン・ニコライ派と一緒に不品行を行なう罪だけ犯して、イエス様から「悔い改めて、サタンの群れと戦って勝利しなさい」という指摘を受けた。
初臨の時も、再臨の時も、道を備える者が先に現れて、そこに侵入したサタンの働きがあり、また戦争があった。
啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の成就の時、道を備える幕屋である第一の幕屋(幕屋聖殿)は、啓13章のように背教し、啓12章の竜(サタン)の群れと戦い勝利した者が現れることで、この時から神様の国と救いがあるようになった。だから、イエス様は、「勝利しなさい。勝利しなさい。」と言われたのである。この言葉を耳に留めているのか?金でできている教会であっても、神様とイエス様が存在しない教会は、サタンの教会でしかない。神様とイエス様は、啓12章、15章で見たように、約束の牧者、勝利者と共におられる。啓10章と12章と15章を信じる者は、勝利者がいるここを探すだろう。
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