新しいことの創造のための「二種類の種を蒔くことと、新しい契約の預言と成就」

 





 神はエレ31章で、新しいことの創造のために二種類の種を蒔くことと、新しい契約をされることを預言された。それから約600年後、イエスはエゼ3章の開かれたき物(本)を受けて食べ、反逆したイスラエルに遣わされ(マタ15:24)、神の種を蒔かれて(マタ13章)、新しい契約をされた(ルカ22:14-20)。

 マタ1324-3037-40節を見たところ、イエスはご自分の畑に神の種を蒔かれた。この時魔も、イエスが種を蒔いた畑に、さらに魔の種を蒔いた。それゆえ、イエスの畑(教会)では、二種類の種穫の時まで一に育った。再臨の穫の時、イエスと御使いたちは、この二種類の種のうち、神の種で生まれた者たちだけ穫して行き、魔の種で生まれた毒は、その育った畑にして置いた。では、穫された者たちと穫されなかった者たちのうち、誰が神の種で生まれた者たちであり、誰が魔の種で生まれた者たちだろうか?また、誰が救われる者たちであり、誰が救われない者たちだろうか?これは幼い子どもでもわかるだろう。わからないと言う者は、その人の中に魔のが入っているからである。

 「牧師と聖徒の皆さん、新天地は、新約の啓示、以下啓示と表記)通り創造されました。すなわち、新天地は神の種で生まれて、穫されて、印を押されて、12枝派として創造されました。そして、啓示を加減することなく精通しました。しかし皆さんは神の種で生まれもせず、穫もされず、啓示を完全に加減しました(啓22:18-19考)。これでも天に行くのですか?引率者が脇道に導くので、導かれる者たちが脇道に行っています(マタ15:14考)。むやみに「異端、異端」と口にし、ののしるのは理ではありません。このような行人がすることです。

 皆さんが救われて天に行こうとするならば、新約の啓示通り創造された新天地12枝派に登されて、啓示を加減せず精通しなければなりません。アメン

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