ヨハネの啓示録(黙示録)1,2,3章の預言と、その実体

 





 「皆さん、啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の本の預言とその実体を知っていますか?」

 啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)受けると、啓2218-19節に語られた。この本は神様が記録されて、七つの印で封じて、持っておられた。それゆえ、今までこの本の意味をわかる者が、天上天下に、誰もいなかった。

 しかし、七つの印で封じて、神様の手にあったこの本(啓示録)を、今日イエス様が受け取り、啓6章、8章で印をすべて解かれて開き、成し遂げられた。イエス様が成し遂げられる時、そばで見て聞いた者がいる(啓22:8)。イエス様は、この人を諸教会に遣わして、その見て聞いたことを証しさせた(啓22:16)。この人が、啓示録の預言の成就の時の約束の牧者、新しいヨハネである(ホセ12:10参考)。皆さんはこの人、すなわち、約束の牧者、新しいヨハネに啓示録全章の事件について証しを受けたのか?啓示録の預言の成就について、見ても聞いてもいなかった者たちが、「信じる」という、その言葉だけで天国に行くというのは、偽りである。

 この本、啓示録には、神様の所属と悪魔の所属の間の戦争があり、再創造があり、啓示録通り再創造されてこそ、臨んで来られる天国に入ることができる。啓示録の成就の時は、以前の天、以前の地、すなわち、御国の子らがいなくなり、新しい天、新しい地が創造された所に、霊界の天国と神様が臨んで来られる。また、神様の種で生まれた者たちを収穫して、印を押し、創造した12枝派144000がいる所に、神様と天国が臨んで来られる。

 啓示録では「約束した牧者」を、啓1章と2-3章と4-5章でも見て、啓10章と12章と15章でも見た。そして21章と22章でも見た。だから、約束の牧者を信じないことは、見ていないからではなく、心で信じていないということである。

 初めの御言葉がおられ、その御言葉が神様であられる。私たちは、神様が下さった啓示の御言葉、すなわち、新しい御言葉で再創造されるのである。それゆえ、我が新天地の聖徒たち、すなわち、新しい天、新しい地の聖徒たちは、神様の種、すなわち御言葉で再創造されたのである。ゆえに、新天地の聖徒たちは誰もが皆、啓示の御言葉が心と体に記録されている。確認してごらんなさい。アーメン

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