ヨハネの啓示録(黙示録)を加減してはいけない

 



 啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)という本は、神様が記録されて、七つの印で封じて、今日まで持っておられた。それゆえ、地球村にはこの本の意味をわかる者がいなかった。しかし、この啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると記録されている(啓22:18-19)。では、啓示録を加減した者たちと加減しなかった者たちのうち、どちらが天国に入ることができるだろうか?啓示録を加減した地上のすべての教会の牧者たちは、すべての教徒たちに「天国に行く」と教えている。それゆえ、この牧者たちの言葉は偽りであった。

 「地上の牧師の皆さん、啓示録に精通されていますか?答えてみて下さい。」

 この本の中には、神様と悪魔との戦争が記録されている。神様は、イエス様の初臨の時に蒔いた、神様の種が熟した穀物を、今日収穫して、印を押し、新しい国12枝派を創設された。しかし、悪魔は万国を惑わし、万国は悪魔と結婚した(啓18:2-323)。今日、神様と悪魔との戦争で勝利する側が、地球村を占有するだろう。それゆえ、啓2-3章でイエス様は、選民の幕屋に侵入したサタン・ニコライ派と戦って勝利すれば、祝福を与えると約束された。しかし、選民の幕屋の牧者と聖徒たちは、これに耳を傾けず、気にもかけなかった。それゆえ、イエス様が啓5章で、神様が持っていられた封じられた本を受け取られて、啓6章で印を解かれる時、四つの生き物を用いて、啓2-3章の罪を犯した選民を審判された。それゆえ、太陽・月・星が落ちて天と地がなくなり、罪を犯した選民が追い出された。これが、啓2-3章の罪を犯した選民に対する審判である。

 この事件の後、イエス様は御使いたちと共に来られて(マタ24:29-31)、啓7章と14章のように神様の種で生まれた者を収穫して、印を押し、12枝派を創設された。この12枝派が新天地イエス教証しの幕屋聖殿である。啓143節では、彼らだけが新しい歌を歌うことができると言われた。この新しい歌は、啓示録全章が成就された実状を証しする御言葉である。啓示録の成就の時、救われる者は啓7章と14章の12枝派144,000と白い群れだけである。この12枝派は新しい時代の神様の国であり、民族である新天地である。そして啓12章で、イエス様の血と証しする言葉で、竜の群れである七つの頭と十本の角の獣と戦い、勝利した者たちが集まった証しの幕屋聖殿である。あれほどプロテスタント教会が、悪口を言いのろっても新天地が急成長しているのは、神様とイエス様と御使いたちが共におられるからである。これを見てもわからない者は、その心霊が死んでいるからである。それゆえ、今は迫害することより、聖書で確認してみなければならない。

 今、新天地を迫害する大韓民国以外の全世界の多くのキリスト教徒たちが、新天地の啓示の御言葉を認めて、教会の看板まで新天地の看板に掛け替えている。これが、勝利の証しである。悪口と迫害の言葉が口に満ち満ちている韓国のプロテスタント教会の牧師たちは、この知らせを聞かなかったのか?牧師たちがどんなに迫害しても、神様はだまされない。

 啓示録を加減したので、牧師たちとその教徒たちは一人も天国に入れない。これは新約聖書の啓示録が証明する。牧師たちが新天地を迫害した情熱で伝道したなら、教会に聖徒が満ちあふれただろう。プロテスタント教会の牧師たちの強制改宗と酷い迫害などで新天地の聖徒5名を死なせた。その血の訴えが天地の空間に響き渡っている。これはイエス様の初臨の時よりも酷くなった迫害だと考えられる。

 プロテスタント教会も、新天地のように聖書の試験をして、合格者たちにだけ牧師の資格を与えたならば、すでに教会ごとに教徒の数が満ちあふれたであろう。一度、プロテスタント教会の牧師たち100名と、新天地の聖徒たち100名が、一緒に新約の啓示録の100問題について、大衆の前で試験をしてみよう。誰が正統であり誰が異端なのか、確認してみるためである。牧師の資格に満たない者を牧師として立てること自体が、神様に罪を犯すことではないのか?神学校を立てることも同じである。私たちが互いに合意のもと、一度、試験をしてみよう。

 啓示録をすべて加減した者たちが、どうして天国に行くと偽りを言うのか?啓示録を加減すれば天国に入れない。これがまことの証しである。

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