新天地の聖徒は、今日が啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の成就の時であることをよく知っている。そして、啓示録の御言葉が心に刻まれている。この啓示録には、再創造に関する約束が記録されている。これは今、永遠に生きるために食べなければならない霊的な「まことの食物」である。そして、この本を加減すれば天国に入れない。ところが、プロテスタント教会の牧師たちは、教徒たちに啓示録を教えることもできないのに、迫害の方法についてはよく教えている。マタ23章のようにである。これが事実ではないのか?答えてみなさい。
イエス様が、この本の七つの印を解いて、記録された預言を成し遂げられた時、その成し遂げたことをすべて見た者がいる(啓22:8)。初臨の時、神様がイエス様を反逆した民族(肉的イスラエル)に遣わして、旧約が成し遂げられたことを証しさせたように(マタ15:24)、今日イエス様は、啓示録を成し遂げたことをすべて見た者を諸教会に遣わし、その見て聞いたことを証しさせた。(啓22:16)。ところが、なぜイエス様の使者を来させないようにして妨げるのか?教会に「収穫の働き手、出入禁止」という文句が貼り付けられている。このようなことをする牧者は、イエス様とその御言葉を信じない者である。かえって、御言葉を信じようとする者たちを妨げる妨害者である。このような無知な者たちが牧師だとは、本当に嘆かわしい。
イエス様は、啓示録を加減してはならないと言われた。それゆえ、新天地は、誰がまことなのかを確認するため、新天地とプロテスタント教会が一緒に大衆の前で新約の啓示の御言葉で、100問題の試験をしようと何度も提案した。しかし、プロテスタント教会は応じなかった。このような者が、どうして牧者だと言えるだろうか?梨の木には梨が実を結び、柿の木には柿が実を結ぶ(マタ7:15-20参考)。
今この時は、宗教の末年(世紀末)であり、新しい時代が創造される時である。以前の天と以前の地がなくなり、新しい天、新しい地、すなわち、新天地が創造される時である。プロテスタント教会の牧者と教理を見なさい。これで良いのか?それゆえ新天地は、聖書の試験をしてでも、悟りを与えようとしたのである。プロテスタント教会の牧者たちと教徒たちは、今の信仰のままでは、来られる神様と天国を迎えることができない。再び生まれなければならない。
イエス様の初臨の時は、「初臨の時に成し遂げられた預言の成就」が。再臨の時は、「再臨の時に成し遂げられた預言の成就」が、その時の「永遠のいのちの食物」である。すなわち、初臨の時は、旧約の成就の啓示の御言葉が。再臨の時は、新約の成就の啓示の御言葉が、その時の食物である。それゆえ、啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われたのである。この御言葉を信じるか?
新天地は、新約の啓示録の預言と、その成就された実状を証しする。プロテスタント教会は、新天地を異端だと主張したが、これは初臨の時、イエス様を異端だと言った悪霊(悪魔)の牧者たちの行動と同じである。真理を伝える新天地を異端だと主張するプロテスタント教会の牧者たちは、まことの信仰人に見えない。新天地は啓示録通り創造された。そして、新約の啓示録に精通している。確認してみなさい。なぜ、確認しないのか?なぜ、偽りを言うのか?
今この時は、新約である啓示録が成就する時であり、再創造の時である。啓示録を加減すれば、天国と永遠のいのちを得る事はできない。新天地には、啓示録が成し遂げられる時、見て聞いた牧者(イエス様の使者)がいる。それゆえ新天地は、啓示録の預言とその成し遂げられた実状を証しする「証しの幕屋聖殿」であり、啓示の御言葉を伝えることで、救いの使命を果している。新天地が証しする御言葉のうち、間違って証ししていることがあるなら、それを指摘するように言った。なぜ、できないのか?
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