神様は、天地万物を造られ、これをアダムに与えて治めさせた。しかし、アダムが野の蛇(悪魔、啓12:9)に惑わされて、野の蛇の言葉を聞いて背教することにより、神様は、創造された世界であるこの地から離れ去られた。
神様がいないこの世は、蛇、すなわち、悪魔が主管するようになった。地球村を離れられた神様は、失った地球村を再び取り戻すため、6千年間、働いて来られた。しかし、罪悪により心が暗くなった世の人は、口では神様を信じると言いながらも、行いはそうではなかった。ヨハ1章に、「光はやみに輝いたが、やみは悟れなかった。」と言われた。これが神様と人の立場である。
ヨハネの啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)には、神様と悪魔との最後の戦争が預言されている。創造主である神様と、悪魔、この二つのうち一つがなくなれば、この霊的戦争は終わるだろう。また、この啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。それにもかかわらず、この啓示録のまことの意味を知る者は天地の間にいなかった。
しかし、啓示録が記録されてから約2千年が過ぎた今日、神様は、七つの封印で封じて持っていた本を、イエス様に与えられ、イエス様は、封じられた本の封印を一つずつ全て解かれて、記録された預言を一つずつ全て成し遂げられた。この時、イエス様が、啓1章から22章まで成し遂げられるのを、そばで全て見て聞いた一人の人がいる。イエス様は、この人を諸教会に遣わして、その見て聞いた事をあかしせよと言われた(啓22:8、16)。今日、地上の牧者たちも、聖徒たちも、この人からあかしを受けてこそ、啓示録のまことの意味も、その成し遂げられた実体も知ることができる。この時、このあかしを聞いて信じる者が、ヨハ14章29節の御言葉を信じて行う者であり、また、イエス様の血で結んだ新しい契約を履行する者である。このあかしを聞くのか、聞かないのか。信じるのか、信じないのか。
啓示録の預言の成就の時は、偽りの言葉(偽りのあかし)を語ることはできない。預言通り成し遂げられて現われた実体があるからである。啓示録の成就の時、出現した人物たちも、再創造した12枝派も、敵対する悪魔の兵士たちも、預言通り全て現われる。イエス様は、これを見て信じなさいと言われたのである(ヨハ14:29)。預言の実体をである。
この啓示録の預言は、比喩とたとえで記録された御言葉なので、一般的な人の考えでは知ることはできない。その理由は、啓示録の人名、地名、組織などは、たとえた比喩で記録されているからである。
地球村で啓示録に精通する所は、ひとえに新天地イエス教証しの幕屋聖殿12枝派以外にはない。啓示録がわからない者たちは、天国に入れず、のろいを受けるようになるだろう。天国に入る者は、啓22章16節の御言葉に従順になりなさい。
イエス様の代言の使者、すなわち、新約の約束の牧者は、啓示録全章の事件を見て聞いた者であり、啓2-3章で七人の使者に「悔い改めよ」という手紙を送った者であり、啓10章の開かれた本を受け取って食べた者であり、啓12章で竜の群れと戦って勝利した者であり、啓22章16節で諸教会に遣わされた者である。この勝利者は、啓2-3章の約束を受けた者なので、神様の御言葉、すなわち、イエス様の御言葉とその御心を信じる者は、この約束の牧者のあかしを聞いて信じて、12枝派に所属されてこそ、天国に入ることができる。アーメン。アーメン。「感謝します。」
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