啓示録を加減すれば天国に入れず、呪い(災害)を受けると、啓22章に記録されている。伝統教会(カトリックとプロテスタント)は、啓示録を加減しなかったのか?偽りを話さず、正直に話してみよ。みんな加減した。それゆえ、天国に入れず、呪いを受けるだろう。
この本、啓示録を加減した者たちが、昔の初臨の時のエルサレムの牧者たちが、イエス様に行ったように、また、啓示録に精通した新天地に異端だと言った。この本、啓示録に精通した者たちと加減した者たちのうち、誰が正統であり、誰が異端だろうか?我が新天地が見る時、カトリックとプロテスタントは、皆一様に、新約の啓示録を加減した。しかし、新天地は、啓6章の背教した選民の審判の事件の後、7章で、印を押されて12枝派に登録されて、いのちの書にその名前が記録され、啓示録に精通した。
新約啓示録を加減したカトリックとプロテスタントが、啓示録に精通した新天地に異端と言った。それゆえ、新天地が彼らに新約啓示録の基準で、大衆の前で公開試験をして、異端と正統を区分しようと、何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。これは、彼らが新約啓示録に無知で、試験で勝利する自信がないからである。それゆえ、新天地が真理(啓示の御言葉)で勝利したのである。
カトリックとプロテスタントは、啓示録を加減したので、このままでは天国に入る事はできない。それゆえ、新約の啓示の御言葉で再び生まれなければならない。我が新天地は、啓6章の出来事の後、7章から啓示の御言葉で印を押されて12枝派として創造された。啓10章で、啓示録の本を受け取って食べた者も、この本、啓示録全章の事件を全て見た者も、唯一新天地にいる。それゆえ、結局、印を押された新天地以外は、天国に入る者がいない。新天地は、新約啓示録の成就の時、印を押され、毎月、十二種の実を結ぶいのちの木になった。
啓示録の成就の時である今日、救われる事を願う信仰者ならば、「私は新約啓示録が言った誰なのか、私は啓示録通りに創造されたのか」自分を振り返ってみなければならない。

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