「神学博士の皆さん、牧師の皆さん、誰かに異端だと言う前に、自分自身を一度、振り返ってみて下さい。その基準は、神様と神様の御言葉です。
今日、新天地が見る時、神学博士の皆さん、牧師の皆さんは、新約啓示録を加減しました。これでも、聖徒たちには天国に入ると言いながら、十分の一などの献金を受け取っています。この言葉が合っていますよね?
啓6章の背教した選民の審判の後、啓7章で印を押されて創造された12枝派(144000)と白い群れがいます。牧師の皆さん、啓7章の印を押されましたか?そうでなければ、白い群れにでもなりましたか?それでも聖徒たちには、十分の一献金はきちんと受け取っているのではないですか?これでも、新約啓示録通り創造されて、啓示録に精通する新天地に、来る日も来る日も『異端、異端』と言って迫害しています。この世のキリスト教の世界は、本当に奇妙な世界です。」
御言葉集会の時、私が参加した牧師たちに「牧師の皆さんは、どの枝派か」と聞いてみた。しかし、彼らは答えなかった。新約啓示録の成就の時、啓示録6章の事件の後、7章で印を押されて創造された12枝派がいる。この12枝派だけが天国に入る事ができる。カトリックとプロテスタントには一人も、啓6章の事の後、7章で印を押された者がいない。これでも、聖徒たちに天国に行くと欺いて、また新天地に異端と言った。彼らは良心もない者たちであり、神様の働きを妨害する悪魔の行動をする者たちである。
しかし、啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると記録されている(啓22章)。初臨のイエス様に異端だと言ったユダヤ人たちのように、今日のカトリックとプロテスタントが、また、啓示録の実状まで精通する新天地に異端と言った。それゆえ、新天地が啓示録を基準に公開試験をして、誰が異端であり、誰が正統なのか、確認しようと何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。では、誰が異端なのか?誰が異端であり、誰が千(天)端(「正統」という意味)なのか、聖書で公開試験をして確認しよう。新天地が提案した、公開聖書試験に応じよ。新天地は幼年会から諮問会に至るまで、新約啓示録に精通している。
カトリックとプロテスタントは、新約啓示録を加減して、彼らが異端だと言った新天地は、新約啓示録の全章の実状までも精通する。この三つのうち誰が天国に入って、誰が地獄に行くだろうか?一度でも正しい話をしてみよ。録音機は聞いたそれを、その通り話す。人は、どうなのか?見て聞いた者だけが、見て聞いたその通り話す事ができる。
神学博士の皆さん、牧師の皆さんは自分自身を一度、振り返ってみなければならない。自分自身が新約啓示録に精通するのか、加減したのか、また、自分自身が天国に行くのか、地獄に行くのか。啓22章が答えてくれるだろう。

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