天国の秘密、啓示録の実状


 天国の秘密である啓示録を加減すれば、天国に入れず、呪い(災害)を受けると、啓22章に記録されている。イエスが、マタ13章に「天国の秘密に対しては、知らなければならない者がいて、知ってはいけない者がいる」と言われた。


約2千年前、啓示録を記録した使徒ヨハネは、啓示録全章(啓1章から22章まで)を、イエス様の啓示を通して全て見て記録した(啓1:19、啓22:8)。この本、啓示録の預言が成就される今日は、啓示録全章の事件現場を全て見た者が、啓示録の預言と共に全章の実状を証しする事ができる。この本、啓示録を記録する時も、見た事をその通り記録したように、成し遂げる時も、啓示録全章の事件を全て見た者が、見たそれを証しするのである。イエス様が啓示録を成し遂げられる時、私(約束の牧者)は、その現場にいて、この本の預言の実体たちまでも全て見た。それゆえ、私の証しを聞いた我が新天地の聖徒たちは、この本、啓示録の預言のまことの意味とその実状までも精通する。

この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず、呪いを受けると言われた(啓22章)。伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちと神学博士たちと聖徒の皆さんは、この本、啓示録を加減しなかったのか?みんな加減した。そうならば、加減した者たちは、啓22章の約束通り天国に入れないだろう。事実がこのようなのに、自分自身を振り返らず、自分の所属ではない他の人には「異端、異端」と言った。新天地の聖徒たちは、誰でも皆、新約啓示録の預言のまことの意味とその実状までも精通する。これが異端なのか?初臨の時、イエス様に異端と言ったように、今日、新天地にも異端と言う。しかし、初臨のイエス様が異端だったのか?イエス様に異端と言った者たちが、まことの異端ではなかったのか?このように、今日、新天地に異端だと言った者たちが、まことの異端ではないだろうか?

プロテスタントとカトリックが、新天地に異端と言うので、新天地が、彼らに新約啓示録を基準に公開試験をしようと、何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。偽りの牧者、偽りの聖徒にならないようにしよう。新天地は、聖徒たちも啓示録の実体まで精通する。では、誰が正統であり、誰が異端だろうか?初臨の時、イエス様が聖書通り来て、旧約を成し遂げた実状を証ししても、当時のユダヤ人の牧者たちが信じなかったように、今日、啓示録の約束の牧者を遣わして、新約の成し遂げた実状を証ししても、伝統教会の牧者たちが、また異端だと信じなかった。初臨の時の約束の牧者であるイエス様の道を、マタ11,12,13章のように、異端だと遮ったように、今日も、新約啓示録に無知な伝統教会の牧者たちが、また異端という言葉で、約束の牧者の道を遮った。しかし、イエス様に尋ねてみれば、啓2-3章の約束の牧者が、新天地にいると言われるだろう(啓12:5、10-11、啓7章、14章、啓21:1参考)。

初臨の時、旧約の約束の牧者であるイエス様が来られたが、当時のユダヤ人の牧者たちは、信じなかった。このように、新約に約束した牧者を遣わすならば、また迫害するだろうと、聖書は語っている。罪の中で生きて来た人は、約束の牧者を遣わすならば、また習慣的に異端だと迫害するだろう。

神様の働きは、この本、啓示録を成し遂げる事で終わる。新約啓示録の成就の時は、伝統キリスト教の世の末世であり、神様の新しい国の再創造の時である。この時、まことの信仰者は、新約聖書の中に入ってこそ、救いの方舟に乗った者になるだろう。今、キリスト教徒たちは、再臨のイエス様が遣わされた約束の牧者を、また異端だと殺す事に血眼になっている。これが、聖書の外で信仰した証拠である。

新約啓示録は、神様の国の再創造の設計図なので、預言通り神様の国が再創造される。今日、啓6章のように、腐敗した以前の世界が審判されて、啓7章のように、神様の新しい国が再創造された。預言と実状を照らし合わせてみて、合っていれば、信じなければならない。実状は、預言が成就されて現れたものだからである。啓示録の預言通り成し遂げられる事を見れば、この時が、その預言の実状の時である事をわかるだろう。啓示録の預言が成就されて現れた背教者たち、滅亡者たち、救い主の実体も生きている。

今日、天国の秘密、啓示録が成し遂げられて、その実状が現れた。新天地は、新約啓示録の通り創造され、今日、啓示録が成し遂げられた事を見て聞いた通り証ししている。確認してみよ。

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