私(約束の牧者)は、啓1-2章と啓6-7章の出来事など、新約啓示録1章から22章までの全章の諸事件をすべて見て聞いた。よって、私は新約啓示録通りに新天地(新天地イエス教証しの幕屋聖殿)を創造した。名称も組織もそのようにした。確かめてみれば分かるだろう。
私たち、すなわち世の罪はイエス様がすべて背負って行かれた。だから主の祈りのように、天のみこころがこの地でも行われることを信じている(マタ6:10 参照)。また、啓2-3章のように、すべてが成就すること(勝利者に約束された福を与えること)を信じている。
私は家が貧しく、世の勉強もあまりできず、世の教会や神学校で聖書を学んだこともない。しかし、天の神様とイエス様の恵みによって、天国の奥義である新約啓示録が成し遂げられることをすべて見て、開かれた啓示録の本を御使いを通して食べさせてくださって(啓10章)、啓示録に精通するようになった。それゆえ新天地は、新約啓示録通りに創造されたのである。イエス様が私に啓1章から22章までの全章の事件をすべて見せてくださった(啓22:8)その通りに創造し、その通りに証ししてきた(啓22:16)。新約啓示録の事件をすべて見た私は、この本、啓示録の証人である。よって、新天地は啓示録の実状を証しする、証しの幕屋聖殿である(啓15章)。御使いがくれたその本は、啓1章と10章の啓示の本であり、今は私の腹の中にある。私は世の教会でも天の啓示の御言葉(新約)を、聞いたことも見たこともなく、世の神学校で学んだこともない。しかし、啓10章の啓示の本を受け取って食べ、新約啓示録の全章の事件をすべて見た。それゆえ、私は見て聞いたそのことを証ししている(啓22:8、16)。イエス様がエゼ3章の開かれた巻き物(旧約聖書)を受け取って食べて、旧約が成就したことをイスラエル民族に証しされたように、私も啓10章で新約の啓示の本を受け取って食べ、啓示録が成就したそのことを諸教会に証ししているのである。
この世の牧者たちは霊的に目の見えない者、耳の聞こえない者となり、神様が約束されたその御心が成し遂げられたことを、見て聞いても分からなかった。しかし、この本、啓示録を加減すれば天国に入ることができず、呪われると仰った(啓22章)。自分に自問しなさい、加減しなかったかどうかを。真の信仰者が行くべき所は、今いるそこ(伝統教会)ではなく、収穫されて行くべき所がある(マタ13章、啓7章、14章 参照)。
プロテスタントとカトリックは、御言葉であられる神様(ヨハ1章)が新天地と共におられることを知りながらも、金と権勢のためにそこを離れられないでいる。これは天の恵みよりも、肉のパンをもっと必要としているからである(ヨハ6章のように)。ナザレの町のイエス様を忘れている。
信仰者は誰であれ「この本、啓示録を加減すれば天国に入れず、呪いを受ける」という事実を肝に銘じなければならない。時に従わなければならない。今は新約啓示録が成就する時である。この言葉は、新約啓示録全章の預言通りに現れた実体が証ししている。それゆえ、啓示録が成就した実体を信じて従わなければならない。そして新約啓示録に約束された牧者、すなわち勝利者に従わなければならない。神様とイエス様の啓示の御言葉も勝利者の腹の中にあり(啓10章)、勝利者が見て聞いた啓示録の実状を証ししているからである(啓22:8、16)。
啓6章の背教した選民の審判の事件の後、啓7章から新しい国、新しい民族が創造され、新しい時代が始まる。啓7章の創造以前のものは、啓6章で見たように終わった。新約啓示録に約束された牧者に会い、新約の啓示の御言葉を聞くことが祝福である。その証しを聞き、新約啓示録を加減せずに精通することで、天国に入ることができるからである。
啓示録で約束された国と民族は新天地であり、新天地は新約啓示録通りに、加減なく創造された。確かめてみなさい。

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