旧約聖書の御言葉(預言)を信じて信仰した聖徒たち(ユダヤ人たち)は、メシヤが来られる事を、首を長くして待っていた。しかし、初臨の時、まさにメシヤであるイエス様が来られた時、当時のユダヤ人たちはイエス様を信じず、殺そうとした。これは、イエス様の霊と彼らの霊が違うからであった。そして、聖書の預言に対する無知のためであった。結局、イエス様は十字架を負って死なれ、その弟子たちは殉教までした。これが当時の世の知識と人の心であった。
新約時代の聖徒たち(キリスト教徒たち)も、メシヤ、すなわち再臨のイエス様を、首を長くして待って来た。しかし、新約啓示録の成就の時である今日、イエス様が啓示録の預言通りに来て、新約の啓示録を成し遂げられたが、聖徒たちは、イエス様が新約の啓示録を成し遂げられた事も、また、イエス様が選ばれた約束の牧者が、その成し遂げられた実状を見て聞いて証しする事も信じなかった。約2000年前、イエス様の弟子たちは、その当時のイエス様の顔を見たので、わかるだろう。しかし、今日の信仰者たちのうち、再臨のイエス様の顔を見た者や、わかる者は一人もいない。聖書でだけ見て感じるだけである(啓1章と2-3章で)。
初臨のイエス様は、ヨハ1章のように、御言葉が肉体となって来られた。しかし、当時のユダヤ人たちは、聖書(旧約)に無知で、旧約の預言通り来られたイエス様を知る事も信じる事もできなかった。このように、その昔の初臨の時のように、今日も、再び来られるイエス様の実体に対して知る者がいない。そして、イエス様が選ばれて共におられる約束の牧者が来ても、預言通り来られたその実体も信じられなかった。これは、聖書(新約)の知識と信仰が不足だったからである。
啓示録には、再臨のイエス様と約束の牧者と、成し遂げるべき事が詳しく記録されている。しかし、世のキリスト教徒たちは、イエス様が約束されて、約束通り遣わされた者(約束の牧者)も、イエス様が啓示録を成し遂げた実体たちも信じられないでいる。イエス様は、今日、この時、すなわち主の再臨の時をノアの時のようだと言われた。ノアの時にも、当時の人々がノアを信じられず、イエス様の初臨の時も、当時の人々がイエス様を信じられなかった。そして、再臨の時である今日、イエス様が霊体で来られて、約束の牧者と共におられて、新約啓示録を成し遂げられた事も信じなかった。
啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた(啓22:18-19)。私が見たところ、地球村の牧者たちも信仰者たちもみんな、新約啓示録を加減した。しかし、啓示録に見たところ、このような中でも印を押された者がいる。誰なのか?啓7章と14章の12枝派144,000である。彼ら印を押された12枝派144000と、イエス様の血で罪を赦された白い群れが、救われるようになると言われた(啓7章)。
もう偽りの信仰、空しい信仰はやめて、預言とその成就された実状を見て聞いて信じる、まことの信仰をする時が来た。この時の実状は、預言が肉体となって現れた実体たちである。
今日、新天地に異端と言う者は、新天地を異端だと言う根拠を、聖書を通して明らかにしなければならないだろう。自分が異端である事を、なぜ自分はわからないのか?自分には、新天地を迫害する霊が共にいるのではないのか?自分は、新約啓示録を加減しなかったのか?新約啓示録を加減した者は、神様とイエス様の約束に対して不従順した者でありながら、誰を「異端、三端」という資格があるのか?啓示録を加減した自分が異端であり、約束の民族12枝派に入れない者なのに、どうしてまことと偽りをわかるだろうか?新約啓示録を加減した者は、神様とイエス様に不従順した者であり、天国に行く資格がない者である。新約啓示録通り創造されて、啓示録に精通したまことの正統新天地に異端とたわごとを言う者はみな、偽りの牧者である。まず、自分を聖書(新約)で確認からしなければならないだろう。
新約啓示録を加減した者が、誰を異端と言う資格があるのか?このような者は、無知な悪魔所属の牧者たちのようだ。新約啓示録もわからないのに、誰を異端だと判断する事ができるだろうか?新天地が「誰が異端であり、誰が正統なのか確認するため、公開聖書試験に応じよ」と言えば、伝統教会の牧者たちのうち、一人も応じなかった。どうしてこのような者たちを牧者だと言うのか!このような者たちが正統なのか?偽りの牧者たちではないのか?
今のこの世のキリスト教徒たちの信仰と信心は、イエス様の初臨の時と違いがない。新約時代の信仰者たちは、再臨のイエス様を待って来た。しかし今日、イエス様が再臨されて、新約啓示録を成し遂げられ、イエス様は選ばれた牧者に、その成し遂げられた事を見せて下さって、諸教会に行って証ししなさいと言われた(啓22:8,16)。それゆえ、約束の牧者がこれを証ししたが、世のキリスト教徒たちは、約束の牧者も、その証しも信じなかった。啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた(啓22:18-19)。啓示録が全て成し遂げられるならば、審判があるようになる。この時、啓示録を信じもせず、加減した者たちは、硫黄の火の池、地獄を免れられないだろう。これは、新約聖書の約束である。

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