新約啓示録の成就、実状の時代

 


新約啓示録が記録されてから約2千年が過ぎた今日、イエス様が再臨されて、預言した啓示録を成し遂げられ、その実状(実体たち)が現れた。そして、イエス様が選ばれた使者(約束の牧者)が啓示録の成就の現場で、見て聞いたそれを、諸教会に証ししている(啓22:8,16)。それゆえ今日は、啓示録の預言だけ信じる時代ではなく、現れた実体たちを見て信じる実状の時代である。

啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた(啓22:18-19)。伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちと神学博士たちと聖徒の皆さんは、啓示録を加減しなかったのか?みんな加減した。この言葉が事実ならば、みんな天国に入れず、のろいを受けるだろう。新約聖書で自分を確認してみよ。神様と聖書は、偽りを言われない(啓22章参考)。

イエス様の初臨の時、旧約に無知だったエルサレムの牧者たちが、旧約に精通するイエス様に異端だと迫害した。このように、再臨の今日も、新約啓示録の意味をわかりもしない伝統教会(カトリックとプロテスタント)の牧者たちが、新約啓示録の預言のまことの意味と、その実状まで精通する新天地に、また「異端、異端」と言っている。それゆえ、新天地は、伝統教会の牧者たちに、新約啓示録の基準で、大衆の前で公開試験をして、正統と異端を区分しようと何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。なぜ、何のために公開試験に応じず、無条件、新天地に「異端、異端」と言うのか?異端と言う言葉は、試験に合格できない教団が、異端になるだろう。なぜ、試験に出て来ないのか?答えよ。

今からでも伝統教会の各教団の代表が一人ずつ出て来て、公開聖書試験をして、試験の結果に従って、まことの異端と正統を区分すべきである。

新約啓示録を加減した者は、カトリックとプロテスタントであって、新天地ではない。彼らは、自分たちの知識のなさ、無知を隠すため、新天地に異端という罪をなすりつける行為をしているのである。

全世界の地球村で、新約啓示録の実状までも精通する所は、唯一新天地だけである。それなのに、啓示録を加減したカトリックとプロテスタントが、新約啓示録通り創造され、啓示録に精通する新天地に異端だと言った。では、カトリックとプロテスタントは、何端なのか?千端なのか、万端なのか?「異端」とさえ言えば、正統になれるというのか?新約聖書に精通すれば異端であり、加減すれば正統なのか?伝統教会が言った異端の基準は、どんなものなのか?今日、正統と異端の基準は、新約聖書の啓示録になるべきだろう。「新約啓示録通り、印を押されて創造された12枝派に所属されたのか?啓示録に精通するのか?」天国と永遠のいのちを希望するまことの信仰者ならば、聖書の中で自分を振り返ってみなければならないだろう。

神様が新約啓示録で成し遂げようとされる事は、神様の新しい国、新しい民族12枝派の創造である(啓7章)。新天地は、神様が新約啓示録の約束通り創造した12枝派である。新天地は、啓6章の出来事の後、啓7章から22章までのように、啓示録通り加減なく創造された。新天地は、新約啓示録以前の組織ではなく、啓7章から印を押して創造された12枝派であり、啓21章の新しい天、新しい地である(啓21:1)。確認してみなさい。啓7章から創造された新天地12枝派は、啓22章の毎月十二種の実を結ぶいのちの木であり、約束された天民である。アーメン。この言葉は新約聖書が証明する。

今日は、新約啓示録が成し遂げられて、その実状(実体たち)が現れた。実状の時代には、実状を信じなければならない。新天地は、諸教会に啓示録の実状とその啓示の御言葉を証ししている。天国と永遠のいのちを願う信仰者ならば、新天地の証しを聞いて、信じて、守ってこそ、希望を成し遂げるようになるだろう。アーメン。

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