新約の啓示録が語る背教者、滅亡者、救い主

 


新約の啓示録が語る背教者、滅亡者、救い主とは、それぞれ誰なのか?この三つの存在を知らなければ、救いを受けられない。この三つの存在は、新約啓示録が成就する時、一か所に現れる。最初に現れる者は背教者であり、二番目が滅亡者であり、三番目が救い主である。背教者とは、選民であったが神様から離れ、悪魔の神と一つになった者であり、滅亡者とは、その選民を滅ぼした者であり、救い主とは、悪の神と戦って勝ち、悪霊に捕らわれた民を救い出して呼び出し、救う者である。この者たちを見た人がいるだろうか?

 イエス様の初臨の時にも、背教者、滅亡者、救い主が一つの場所に現れて、聖書(旧約)に約束された自分の働きを成し遂げても、当時のユダヤ人たちはそれを見て聞いても悟れなかった。主の再臨の時である今日においても、この三つの存在が一か所に現れ、新約に記録された働きを成し遂げたが、自分たちも、またそれを見た者たちも悟れなかった。その理由は、神様が記録された預言は天国の秘密であり、比喩、喩えで記録されたゆえに、神様がこの秘密を現され知らせてくださる前には、知ることができなかったからである。ゆえに初臨の時も、再臨の時も、聖書の預言が成就しても、信仰者たちはこれを悟ることができなかったのだ。天国の秘密である新約啓示録についても、今日神様が新約の預言を成就され、本に記録された預言の実状を知らせてくださったことで、初めて知るようになったのである。

 初臨の時、イエス様が旧約を成就した実状を精通しておられたが、当時のユダヤ教の牧者たちとその教徒たちは、イエス様を「異端」「悪魔」と言ったように、再臨の時である今日も、新約啓示録の意味と、その実状まで精通している新天地の約束の牧者に、プロテスタントとカトリックが「異端」と言った。初臨の時、ユダヤ教の牧者たち(エルサレムの牧者たち)の中に、悪魔が入っていたゆえに、イエス様を異端だと言ったように、今日もまたプロテスタントとカトリックの牧者たちの中に悪魔が入っているので、新天地の約束の牧者に「異端」と言ったのである。彼らは新約聖書の啓示録の真の意味も、その実体も知らずに、その神に操られて「異端、異端」と言っているのだ。そこで新天地は、誰が異端なのかを確認するために「新約啓示録を基準として公開試験をしよう」と何度も提案したが、彼らは一人も応じなかった。

 初臨の時も再臨の時も、偽りの牧者たちはその中に悪魔の神が入っているため「異端」という言葉しか知らなかった。真実(真理)を語る者と、偽り(非真理)を語る者の中で、誰が神様の所属であり、誰が悪魔の所属だろうか?

 悪魔の所属の者たちは、初臨の時も再臨の時も偽りを語り、神様の所属の者たちを迫害した。今日、伝統のキリスト教の牧者たち、伝道師たち、教徒たちは「新天地は非真理を教える異端だ」と主張するなら、聖書を持って新天地に来て「この預言の御言葉はこのような意味なのに、なぜ真の意味ではなく別の意味に歪めているのか?」と問いただすべきであった。

 新天地が考える異端とは、聖書の真の意味を歪めて証しているプロテスタントとカトリックである。ゆえに新天地は、プロテスタントとカトリックが、偽りの証をした真の異端だと判断した。

 プロテスタントとカトリックは非真理を信じ、新約啓示録を加減したが、新天地は真理を信じ、啓示録に精通する。では、どちらが正統なのか?これでも分からないのか?新天地は真理(啓示の御言葉)によって世に打ち勝った。アーメン。

 啓示録の成就の時には、啓示録に記録された三つの存在、すなわち背教者と滅亡者と救い主が出現する。この時、この三つの存在を見分け、救い主に属してこそ、救いを受けられる。啓示録の成就の時の救い主は、啓示録に精通し、諸教会に新約の啓示の御言葉を証しする新天地の約束の牧者である。そして救いの方舟は、新約啓示録通りに創造され、啓示録に精通する新天地12枝派である(啓14章参照)。

 新天地12枝派(新天地イエス教証しの幕屋聖殿 12枝派)は、新約啓示録が成就する時、啓示録通りに加減なく創造された。すなわち、啓7章で印を押されて12枝派として創造され、啓21章のように「以前の天、以前の地」が、審判されてなくなった(啓6章)後、再創造された新しい天、新しい地であり、すべての国々の民が来て主にひれ伏す証しの幕屋聖殿である(啓21:1、15:4-5)。今日、新約啓示録通りに加減なく成就された所は、全世界の中でただ新天地だけである。確認してみなさい。

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