初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。天地万物も初めの御言葉であられる神様が御言葉で創造された。この御言葉はいのちと光であった(ヨハ1:1-4)。
啓22章に見たところ、この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちは、新約啓示録を加減しなかったのか?みんな加減した。しかし新天地は、新約啓示録の預言のまことの意味とその実状までも精通する。その昔、初臨の時、エルサレムの牧者たちが、旧約に精通したイエス様に異端と言ったが、今は、伝統教会の牧者たちが、新約啓示録に精通した新天地に異端と言った。では、聖書に無知な伝道教会の牧者たちは、何端なのか?新天地は異端、三端ではなく、天端(「正統」という意味)である。
伝統教会の牧者たちは、新約聖書の啓示録も知らず加減したのに、異端だという言葉は、一番よく言った。それゆえ新天地が、誰が正統であり、誰が異端なのか確認するため、プロテスタントとカトリックの牧者たちに「啓示録を基準にして公開試験をしてみよう」と何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。体調でもくずしたのか?なぜ、公開聖書試験に応じないのか?聖書に無知だからなのか?聖徒たちに偽りの証しをしてきた良心のためなのか?後ろで偽りを話さないで、前に出て来て公開聖書試験に応じなさい。
新天地は、初臨の時のイエス様のように、世の神学校や伝統教会で聞いて学んだ事がなくても啓示録に精通する。これはイエス様のように、天から啓示を受けたからである。プロテスタントとカトリックは、天がふさがって啓示を受けられず、彼らが異端だと言った新天地は啓示を受けている。
聖書もわからず、啓示も受けられない無知なのに、一部の伝統教会の教徒たちが、啓示の信仰をする新天地に、異端だと高城(コソン)の平和研修院(京畿道加平郡)に来て、大声を張り上げた。その都度新天地は、コーヒーを淹れて持って行ってあげたが、デモをして迫害する彼らはコーヒーを受け取って飲んで、感謝しながらも、背を向けて、またデモをした。たぶん彼らは、お金をもらって、その見返りにデモをしているように見えて、まことの信仰をする者たちのようではなかった。イエス様の初臨の時も再臨の時も、その行動は同じである(お金をもらって迫害する行動という事だ)。イエス様の初臨の時も今日のイエス様の再臨の時も、迫害する事は悪魔の使命のようである。
高城(コソン)の平和研修院で御言葉の集会を開けば、牧師たちが来て、聞いて「アーメン、アーメン」と言った。彼らが外に出て行ってはまた「異端、異端」と言った。本当にこの世は奇妙な世界である。悪魔のように偽りの言葉、偽りの行動をしながらも、新天地に「異端、異端」という行為は、悪魔たちのショーのようである。この光景は、神様もイエス様も御使いたちも見て聞いた。
新天地は、イエス様の初臨の時のように、悪魔たちのショーを頻繁に見た。悪魔のショーをする者たちは、神学生、牧師たち、伝道師たちであった。彼らは、新約啓示録もわからないくせに、啓示録に精通する新天地に「異端、異端」と言った。彼らがイエス様と聖書を信じるという話は、真っ赤な嘘である。これが悪霊教(悪魔の教会)を信じる者たちの偽りの行動であった。不信者たちも、彼らの行為を見れば「悪魔の見せかけのショー」と言うだろう。私は、彼らの行為を悪魔のショーと見る。
新天地は、新天地を異端だと迫害するプロテスタントとカトリックに「新約啓示録の基準で公開試験を受けて、誰が異端であり、誰が正統なのか確認しよう」と何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。そうしながらも、約2千年前のイエス様の初臨の時のように、異端という言葉で迫害する事にだけ熱心になっている。誰が異端であり、誰が正統なのか?彼らが迫害する行動と光景を見て聞いて話してみなさい。
イエス様は、マタ6章の主の祈りと教訓(山上の垂訓、マタ5章参考)で、敵をも愛しなさいと言われた。本当にイエス様の御言葉を信じる者ならば、敵をも愛するだろう。新天地は、迫害する者たちにも啓示の御言葉を伝えてあげて、彼らが救われる事を願っている。
初めの御言葉は、いのちと光だと言った。啓示録の成就の時である今日、新天地は、新約啓示録の実状と啓示の御言葉を伝えて、いのちと光を与える使命を果たしている。

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