天国に行く道は狭く険しい

 


マタ7章に見たところ、天国に行く道は狭く険しいと言われた。イエス様は、神様の御心通り行ってこそ、天国に入る事ができると言われ(マタ7:21)、主の再臨の時を、ノアの時、ロトの時のようだと言われた(マタ24:37-39、ルカ17:26-30)。ノアの時、ロトの時が、どうだったのか、知っているのか?

 新約啓示録には「勝利せよ」という言葉を、何度も繰り返し繰り返し言った(啓2章、3章と6章と12章、13章など)。新約啓示録の事件は、神様と悪魔との戦争というほどに、戦いが続いて来た。初臨の時にも、イエス様と12使徒たちをはじめとする、その弟子たちもみんな殉教した。啓20章にも殉教した、たましいたちについて記録されている。このように、狭く険しいのが天国に行く道である。イエス様とその弟子たちが行った殉教の道を、今日、私たちも行っている。狭く険しい天国の道である。

 新約啓示録の事件は、戦争の連続であり、再創造の事件である。啓2-3章から神様の所属と、悪魔の所属の戦争が始まった。悪魔(敵)の群れと戦ってみたのか?戦った戦場と敵たちを見た事があるのか?イエス様の初臨の時、旧約通りイエス様が来られて、約束したその御言葉を成し遂げられたが、イスラエルは、これをわからず、イエス様を悪魔だと殺した。今日は、どうなのか?新約啓示録通り創造された新天地に、伝統教会(カトリックとプロテスタント)の牧者たちが、初臨の時のように、また異端、悪魔だと迫害した。しかし、プロテスタントとカトリックは、聖書に無知で、啓示録を加減した。それゆえ、新天地は、誰が異端であり、誰が正統なのか、明らかにするため、プロテスタントとカトリックに、「啓示録を基準にした100問題で、大衆の前で公開試験をしよう」と何度も提案したが、彼らは、今まで一人も応じなかった。プロテスタントとカトリックは、聖書の外で信仰をしたし、新天地は、聖書の中で信仰をした。それゆえ、プロテスタントとカトリックは、啓示録を加減したし、新天地は、啓示録に精通した。だから、新天地が真理(啓示の御言葉)で勝利した。

 啓22章に、この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。しかし、カトリックとプロテスタントは、みんな啓示録を加減した。これでどんな顔をして聖徒たちに会うつもりなのか?彼らは、目も心も閉ざした霊的な目の見えない人のようである。

 天国に行く道は、狭く険しいと言った。天国を希望する信仰者たちは、敵と戦って勝利しなければならず、啓示録通り創造されなければならず、啓示録に精通しなければならない。狭く険しい道を、辛抱強く耐え忍んで、希望する天国に至るようにしよう。アーメン。

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