主の再臨の時である啓示録の成就の時、神様の御心と目的は何であり、この時、信仰者が守るべき事は何なのか?
啓2-3章から「勝利しなさい」という言葉が頻繁に出て来る。誰と戦って勝利しなければならないのか?そして「私は新約啓示録が言った誰なのか?私は新約啓示録通り創造されたのか?私はこの本、啓示録を加減しなかったのか?」
イエス様の初臨の時、神様が約束の牧者(メシヤ)である神様の御子イエス様を遣わされたが、イスラエル民族は、彼を異端、悪魔だと殺した。これが当時のユダヤ教の世の信仰と知識と行いであった。イエス様の再臨の働きの時である今日も、啓11章に見たところ、啓示の本を受けて食べた約束の牧者が来られたが、伝統教会の牧者たちが、彼をまた、異端、悪魔だと殺した(霊的に殺す)。この伝統のキリスト教の世は、いったい、どんな世の中なのか?何が義であり、何が罪だというのか?
聖書で見たところ、この世には、二種類の神がいる。一つは神様の神(霊)であり、もう一つは悪魔の神(霊)である。この二種類の神が、アダムが罪を犯した後から今日まで、互いが、この地球村の宗教世界の主管者になるために戦って来た。こんな中で地球村の宗教者(キリスト教徒)たちは、聖書に無知で、この二種類の神の働きが成し遂げられる事を見て聞いても、悟って知る事がなかった。初臨の時も再臨の時も、そうであった。
その例を挙げれば、再臨の時である今日、神様の御子イエス様(聖霊体)が来られても、また、啓示録1章から22章まで、啓示録全章の事件を見て聞いて、啓10章で開かれた本を受け取って食べた約束の牧者が来て、啓示録全章の事件の実体たちを見せながら説明しても、初臨の時のように、また気づかずに、異端、悪魔と迫害して殺した(啓11章参考)。しかし、イエス様は、啓2-3章で「戦って勝利すれば、本に記録された祝福を与える」と約束された。啓2-3章で敵が侵入した時、彼らと戦って勝利したのか?新約啓示録に精通するのか?私は、新約聖書が言った誰なのか、知っているのか?自分自身も知らない者が、聖書に約束した背教者、滅亡者、救い主を知る事ができるだろうか?この本、啓示録の成就の時は、自分が聖書で言った誰なのかを知るべきであり、背教者、滅亡者、救い主の実体を知らなければならないだろう。新約啓示録が成就されて、その実状が現れる前には、今まで新約啓示録の預言のまことの意味とその実体たちを知る者は、この地球村に一人もいなかった。今日、イエス様が再臨されて、啓示録を成し遂げられ、イエス様が選んだ牧者に、啓示録全章の事件を全て見せて下さり、開かれた本を食べさせて下さり(啓22:8、啓10章)、彼を諸教会に遣わして、その見て聞いた事を証ししなさいと言われた(啓22:16)。しかし、伝統教会の牧者たちは、神様とイエス様が遣わされた者が来ても、異端だと迫害するのに血眼になっていた。
主の再臨の時であり、新約啓示録の成就の時である今日、神様の御心と目的は、信仰者たちが啓示録の約束通り敵と戦って勝利して、啓示の御言葉で印を押された新天地12枝派として創造されて(啓7章、14章)、啓示録に精通する事と、この新天地12枝派に霊界の天国と神様が臨んで来られて、永遠に共に生きられる事である。そして、この時、信仰者たちが守るべき事は、啓示録の約束通り創造されて、啓示録に精通するため、たゆまず努力しなければならない事である。新約啓示録の預言のまことの意味のみならず、その実状まで精通しなければならない。

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