新約啓示録の約束の御言葉を、なぜ信じないのか?

 


- 今日、聖書の約束を知って信じる者たちが新天地に集まって来ている -

 新約啓示録の約束の御言葉を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると記録されている(啓22:18-19)。プロテスタントとカトリックの牧者たちは、この聖書の聖句を見なかったのか?新約啓示録の約束の御言葉を、なぜ信じず、加減するのか?

各教会の牧者たちは、自分の聖徒たちのいのち(霊的)を左右する使命を持った者たちである。啓示録を加減すれば、自分も自分の聖徒たちも天国に入れず、のろいを受けるようになる。加減しなかったのか?これからは高慢を捨てて、低くなり、啓示の御言葉の中に入らなければならない。啓示録の成就の時の避難所は、新約啓示録の中にある。加減できないこの本、啓示録に精通して、自分の聖徒たちに教えなければならない。この約束の御言葉を信じて、精通するのか?

 この本、啓示録に精通する者が異端だろうか、加減した者が異端だろうか?今のこの世の牧者たち、この本、啓示録を加減しなかったのか?私が見たところ、大多数がみんな新約啓示録を加減した。こうしても牧者の使命を果たしたように、聖徒たちに話しているのではないか?悔い改めて、もう一度、学ばなければならない。今、啓示録は17章まで成し遂げられた。今や啓示録の預言が全て成し遂げられるならば、すぐに審判が始まるだろう(ノアの時、ロトの時のように)。この時、どうするのか?聖徒たちのいのちが牧者たちにかかっている。それにもかかわらず、その昔の初臨の時も今日も、自分の使命は気にも留めず「異端」という言葉は本当に上手だ。誰が異端なのか?新約啓示録の基準で公開試験をして、確認してみよう。

 牧者の皆さん、新約啓示録を加減せず、精通して教えているのか?皆加減した。精通するという言葉は、偽りである。今の時は、啓示録の成就の時であり、主の再臨の時であり、この時は、ノアの時、ロトの時と同じ時である。まもなく裁きが行われ、審判の時は、天国と地獄が分けられる時である。聖徒たちに教えるべき責任を果たしたのか?果たせなかった。その昔、初臨の時にも、聖書(旧約)の約束に無知な者たちが、旧約に精通したイエス様に異端と言った。今日も、聖書(新約)の約束に無知な教団の牧者たちが、自分の無知には気にも留めず、また、新約啓示録の預言のまことの意味と、その実状まで精通する新天地に異端と迫害した。それゆえ、誰が異端であり、誰が正統なのか分けるため、新天地が大衆の前で公開(新約啓示録の基準で)試験をしてみようと、何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。では結局、誰が勝利したのか?もちろん、啓示録に精通した新天地が勝利した。では、誰が異端だろうか?もちろん、啓示録に無知で、啓示録を加減しながらも、新天地に異端だと言った者たちである。異端は、天国に入れない。

 新天地は、新約啓示録の預言のまことの意味と、その実体たちまでも精通する。真理(啓示の御言葉)を教える者と非真理を教える者のうち、誰が異端だろうか?非真理を教える者である。

 今日は、主の再臨の時であり(啓1,2,3章参考)、啓示録の預言が成し遂げられて、その実体が現れた実状の時である。新約啓示録の成就の時は、実状の時なので、偽りの証しが立つ余地はない。

 今日、新天地は、新約啓示録の成就の時、啓7章と14章のように、印を押されて12枝派として創造され、新約啓示録を加減せず、その実状までも精通した。新天地は、新約啓示録通り、加減なく成し遂げられた新天地イエス教証しの幕屋聖殿であり(啓21:1,15:5参考)、聖書が約束したまことの正統である。新約啓示録をわからず、啓示録通り加減なく創造された新天地に異端と言う無知な者たちが、聖書が言ったまことの異端である。今日、聖書の約束を知って信じる者たちが、国内外から新天地に集まって来ているのを見ているのである。新天地、万々歳。

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