キリスト教の宗教が語る有・無形の実体たち

 


- 新天地は、新約の啓示録の預言が成し遂げられた一番重要で核心的な有形の実体である -

 今日、新約啓示録が成し遂げられ、その実体が現れた。実体には、無形の実体と有形の実体がある。目に見えない霊的なものは、無形の実体であり、目に見える肉的なものは、有形の実体である。

 マタ13章で、イエス様が天国の秘密を比喩で語られた事(預言)は、敵に隠すためだと言われた。このように、新約啓示録の預言も、神様が成し遂げられる秘密なので、比喩とたとえで記録され、今日まで知る者が、この世の中で一人もいなかった。

 この本、啓示録が記録されてから約2千年がたった。ところが、啓5章で見たところ、この本、啓示録は、神様が七つの封印で封じられ、右手に持っておられた。それゆえ、この本は今日まで、天上天下に一人も、この預言のまことの意味と、その実体について知る者はいなかった。それゆえ、この本、啓示録の事件を、見たり悟ったりした者は、一人もいなかった。ところが今日、この本は、イエス様が神様の手から受け取られて、封じられた七つの封印を全て解かれて、開いて(啓5章→6章)、記録された預言を全て成し遂げられた(啓21章)。

 この時、イエス様が選ばれた一人の人(約束の牧者)に、開かれた本を食べさせて下さった(啓10章)。それゆえ、この本(啓示録)は、神様の手からイエス様に、イエス様の手から御使いに、御使いから新しいヨハネが受けて食べたのである(啓10章)。それゆえ、この本は、神様の手にも、イエス様の手にも、御使いの手にもなく、この本を受けて食べた新しいヨハネの腹の中に入っている。啓5章で見たこの本が、どこにあるのかと聞くならば、どこにあると言わなければならないだろうか?本を受けて食べた(啓10章)新しいヨハネの腹の中にある。

 イエス様が新約の啓示録を成し遂げられる時、新しいヨハネに啓22章でのように、全て見せて下さり、その見た事を諸教会に行って証ししなさいと言われた(啓22:8,16)。啓示録を成し遂げた実体たちの中には、無形の実体たちと有形の実体たちがいる。無形の実体の例を挙げれば、啓4章の霊界「神様の御座」が、この地に下って来ると言われたが、啓14章の印を押された12枝派がいるシオン山に「神様の御座」が来ている。霊界の神様の御座と霊であられる神様は、私たちが見る事ができないので、無形の実体である。しかし、無形の実体は、有形の実体を通して知る事ができるので、すなわち、有形の実体である新天地12枝派が、霊界の神様の国と同じように、この地に創造されたものを見て、知ることができる。約束の牧者である私は、集会を開いて諸教会と牧者たちに、私が見て聞いたそれ(啓示録全章の実体たち)を証ししたが、彼らは信じられなかった。この言葉が事実ではないのか?

 また、この本の預言を全て見た者も、新しいヨハネ一人だけである(啓22:8)。この本の預言とその成し遂げられた実状を伝えなさいと指示された人も、唯一新しいヨハネだけである(啓22:16)。

 イエス様が初臨で来られる時は、エゼ3章の本を受けて食べて来て、伝えられたと、マタ1章は伝えている(マタ15:24参考)。今日、新天地が伝える啓示録の本の内容は、啓10章で新しいヨハネが受けて食べた、啓示録全章の預言のまことの意味と、その成し遂げられた実状である。この本、啓示録を受けて食べた者も、啓示録全章の事件を全て見た者も、ただ一人だけであった。初臨当時の牧者たちが、イエス様を殺そうとした事ことも、イエス様がエゼ3章の開かれた巻き物の本を受けて食べて、この本の御言葉がイエス様の腹の中にあったからであるように、今日、新天地(約束の牧者、新しいヨハネ)を憎む理由も、新しいヨハネが、開かれた啓示録の本を受けて食べて、この本が新しいヨハネの腹の中にあるから殺すほどに憎むのである(啓10章)。それゆえ、新約啓示録に、イエス様は何度も「勝利しなさい」と頼まれた。敵と戦って勝利したのか?この時、戦いの武器は、新約啓示録の御言葉(啓示の御言葉)で証しする言葉になる。

 イエス様の初臨の時、ユダヤ教の牧者たち(エルサレムの牧者たち)が、旧約に精通したイエス様に、異端と迫害したように、今日のプロテスタントとカトリックがまた、新約啓示録に精通する新天地に異端だと迫害した。この時、新天地は、プロテスタントとカトリックに、誰が異端であり誰が正統なのか確認するため、大衆の前で、新約啓示録基準で公開試験をしようと、何度も伝えたが、未だに一人も応じなかった。それゆえ、新天地が真理で勝利したのである。この真理は、啓示録が成し遂げられた実体たちをあかしする、啓示の御言葉である。新天地は、新約聖書の中で信仰したが、カトリックとプロテスタントは、聖書の外で信仰したので、試験で勝つ自信がなく、試験に応じなかったのである。 

 「この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われました(啓22:18-19)。現、地上のプロテスタントとカトリックの牧者の皆さんと聖徒の皆さん、啓示録を加減しませんでしたか?加減したならば、イエス様の証しの御言葉通り天国に入れず、のろいを受けるようになります。今日も、イエス様の初臨の時のユダヤ教の牧者たちが、旧約に精通したイエス様に異端と言ったように、新約の啓示録を知らないプロテスタントとカトリックが、新約啓示録に精通する新天地に異端と言いました。それゆえ、新天地は、プロテスタントとカトリックに、新約聖書の啓示録基準で、大衆の前で、公開試験をしてみようと、何度も提案しましたが、今まで一人も応じませんでした。誰がまことの異端でしょうか?新天地は、新約啓示録に精通しています。預言のまことの意味だけでなく、その実体までも精通しています。アーメン。新約啓示録を加減した者たちは、天国に入れず、のろいを受けるでしょう。啓22章のように。」

 今日、新約啓示録は、約80-90%成し遂げられたので、全てが成し遂げられつつある。啓示録を成し遂げる時、新天地(約束の牧者)は、イエス様が新約啓示録全章の事件を成就されることを全て見て聞いたので、新天地は見て聞いたことを証ししている。それゆえ、新天地は、新天地に異端だと言う牧者たちに、公開聖書試験をして、異端と正統を区別しようと、何度も提案したが、彼らは、今まで(2年間)一人も応じなかった。

 新天地は、新約啓示録で語られたように、真理で勝利した。イエス様が、勝利者には万国を治める鉄の杖を与えるなど、いろいろな祝福を与えると、啓2-3章に堅く約束された。

 新約啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろいを受けると言われた。プロテスタントの牧師たち、カトリックの神父たちは、啓示録を加減しなかったのか?これは、自分たちがわかるだろう。この本、啓示録の預言も、その成し遂げられた実状も、信じられない者は、にせものの信仰者であり、啓22章の約束の御言葉のように、天国に入れず、のろいを受けるだろう。

 主の再臨の時である今日、イエス様が再び来られて、新約啓示録を成し遂げられた。啓示録を成し遂げた実体たちのうち、一番重要で核心的なものは、新天地12枝派である。そして、成し遂げられる時、新しいヨハネ(選ばれた約束の牧者)に、啓示録全章の事件を全て見せて下さった。それゆえ、新天地は、新約啓示録の預言のまことの意味のみならず、啓示録を成し遂げたその実状までも精通する。天国を希望する信仰者たちは、新天地に来て、約束の牧者の証しの御言葉を聞いて、天国に入る事を祈る。アーメン。

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