新約啓示録の実状の姿を知っている者と知らない者のうち、誰が救いを受ける者なのか

 


新約啓示録22章を見ると、ヨハネは啓示録全章の出来事を見て聞いて、イエス様は彼に「その見て聞いたことを諸教会に行って証ししなさい」と仰った(啓22:8、16)。

 新約啓示録の実体と、それを証しする啓示の御言葉を聞くことも見ることもできずに、自分勝手に「これだ」「あれだ」と言う者は偽りの牧者である。これも分からないのか?

 初臨の時や、再臨の時である今日も、聖徒たちは偽りの牧者の嘘はよく信じながら、聖書に約束された真の牧者の真の証しは信じず、「異端」「悪魔」と言って迫害した。真の牧者とその証しを異端だと教えた偽りの牧者たちは、良心があるのか?

 昔、初臨の時のユダヤ教の牧者たちが、イエス様に異端だと言ったように、今は伝統キリスト教の牧者たちが新天地に、また異端だと言っている。では、自分たちは何段(端)なのか?

 啓示録を加減すれば、天国に入れず呪い(災害)を受けると啓22章で警告された。キリスト教の牧者たちは啓示録に精通しているのか?

 新約聖書に精通したのなら、イエス様が遣わされた真の牧者を「異端」と呼び、偽りの牧者が立てた偽りの牧者を「真の牧者、正統」とは言わなかったはずだ。真の牧者と偽りの牧者も区分できない者が、どうして神様の代言の牧者になれるだろうか?悔い改めて、再び生まれ変わることを願う。

 今のこの世は、信仰的な良心もなく、真理にも気を留めない。伝統教会の牧師たち、神学博士たちと新天地が新約啓示録で公開試験をしてみれば、この言葉が事実であることが分かるだろう。

 新約啓示録22章には、この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず呪い(災害)を受けると記録されている。見たことがないのか?今、プロテスタントの牧師、神学博士たちは皆、新約啓示録を加減した。彼らが、誰かを異端だと言う資格があるだろうか?

事実がこのようであるにもかかわらず、彼らは啓示録に精通する新天地12枝派に「異端」だと言った。それゆえ、新天地は大衆の前で公開聖書試験をして、誰が異端なのかを確認しようと何度も提案したが、今まで一人も応じなかった。なぜ公開試験に応じないのか?新天地は講師(牧者)たちだけでなく、聖徒たちも啓示録の実体まで精通している。だから、伝統教会の牧者たちと新天地の聖徒たちが試験をしても、新天地は勝つ自信がある。

 「新約啓示録の実状の姿を見て聞いて知っているので、啓示録の預言の真の意味だけでなく、その実体までも精通している新天地」と、「啓示録の実状の姿を知りもせず、啓示録を加減したプロテスタント・カトリック」のうち、誰が正統で、誰が異端なのか?また、誰が救いを受けるのか?新約聖書の啓示録が答えてくれるだろう(啓22:18-19)。

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