新天地は、新約の四福音書(の預言)と啓示録全章の約束通り創造されて再び生まれた。しかし、プロテスタントとカトリックは、新天地に異端だと言った。それゆえ、新天地は、誰が異端なのか確認するため、啓示録の基準で公開試験をしてみようと提案した。まことの言葉と偽りの言葉は、天と地ほどに違う。まことの言葉を話した者は天国行きであり、偽りの言葉を話した者は地獄行きである(啓22:18-19参考)。新天地は、真理(啓示の御言葉)で世に勝利し、七つの頭と十本の角を持った竜の群れと戦って勝利した(啓12章)。
啓示録の預言は、その成就の時になれば、記録された預言の実体たちが現れる事で、加減なく全て成し遂げられる。新天地(約束の牧者)は、イエス様が新約啓示録を成し遂げられる事を全て見て、成し遂げたそれ(実状、実体たち)を証ししている。確認してみよ。なぜ、信じないのか?しかし、目の見えない人たちと耳の聞こえない人たちは、見ても聞いてもわからないだろう。
新天地は、新約啓示録の預言のまことの意味と、この預言を成し遂げた実状まで、証ししている。新約啓示録は、腐敗した一つの時代(預言の時)が終わって、新しい時代(実状の時)が創造される事を記録したものである。そして、悪魔の兵士と神様の兵士との戦争があり、勝利した者たちが、神様の国を統治するようになる事を記録した本である。啓6章と7章のように、啓13章と12章のように、腐敗した一つの時代の終末と、新しい国の再創造が記録された本である。そして、この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けるようになると言われた(啓22:18-19)。
「牧師の皆さん、神学博士の皆さん、啓示録を加減しませんでしたか?みんな加減したので、天国に入れません。異端は、新約啓示録を加減した者たちです。新天地は、新約啓示録を加減せず、精通しました。しかし、プロテスタントとカトリックは、新約啓示録を加減して、偽りの証しをしました。では、誰が誰に異端と言うべきでしょうか?それにもかかわらず、初臨の時のユダヤ人の牧者たちがイエス様に異端、悪魔と言ったように、今日も、伝統教会の牧者たちが新天地と約束の牧者にそうしました。啓22章で見たところ、神様とイエス様は、啓示録を加減した者は天国に入れず、のろいを受けると言われました。これでも啓示録に精通する新天地に、異端と言うべきでしょうか?新天地は、新約啓示録の預言とその実状までも精通するまことの正統です。確認してみて下さい。」

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