1. 田舎の貧しい農家で生まれた私
ナザレの町、すなわち貧しい村で育ったイエス様は救世主(メシア)として来られ、開かれた旧約(巻き物)の本を受け取って食べ、イスラエルに来られて伝えたが(マタ1章、エゼ3章、マタ15:24 参考)、彼らはイエス様を異端、悪魔だと言い、信じずに殺した。
今日、新約啓示録の成就の時も、約束の牧者、新しいヨハネが啓10章で啓示の本を受け取って食べて来て、自分が見て聞いたことを諸教会に伝えたが(啓22:8,、16)、カトリックとプロテスタントの牧者たちと聖徒たちは彼を信じず、啓11章のように、また殺した(霊的に殺す)。しかし初臨の時のイエス様も(マタ28章参考)、再臨の時の新しいヨハネも(啓11:11-12)再び生きられた。
イエス様が、貧しい村であるナザレの町でお生まれになったように、今日の約束の牧者も、田舎の貧しい農家で生まれ、世の学問をまともに学べなかった。12人の子(息子11人と娘1人)を持つ父が、家も土地も農地もない田舎の農家で暮らしていたので、貧しさに貧しさを重ね、人々からの迫害と冷遇により人生の苦痛は言葉では言い表せなかった。父は知り合いの家に私たち兄弟を送り、そこで働かせてもらい、ご飯をもらって生きていくようにさせた。私も小学生の時、他人の家で2年間働いて、ご飯をもらって食べて生きた。こうして私が生きてきた道もナザレのイエス様のように本当に険しかった。
2. 信仰をするようになったきっかけ
小学生の時、私は優等生であったが、貧しくて勉強を続けることができなかった。小学校卒業後、私は兄がいるソウルに行き、昼は働き、夜は塾に行って勉強した。そんな中、6.25戦争が起こり避難することになり、また他人の家で雇工生活(奉公生活)をすることになった。その後まもなく、私も6.25戦争に参戦することになった。私の人生はなぜこのように苦しく生きなければならないのか? 天よ!何とか言ってください。我が国のことわざに「若い時の苦労は買ってでもする」というのがある。
6.25戦争の時、最前線から生きて帰ってきた私は、故郷の村で農業をしながら暮らした。最前線で死なずに生きて帰ってきた私は、毎晩神様に感謝の祈りを捧げた。そのとき3日の夜の間、大きな光に出会い、それによって信仰をするようになった。
3. 啓示録に精通するようになった私
新約聖書の啓示録は記録されてから約2,000年が経っていたが、この世で啓示録の預言の意味もその実状(実体)も知る者がいなかった。だが、イエス様が私を選ばれ(啓1章参考)、啓示録を成し遂げられる時、私にこの本、啓示録の全章の事件の実体をすべて見せてくださり(啓22:8)、その意味を知らせてくださり、開かれた啓示録の本を啓10章のように食べさせてくださった。こうして私は啓示録に精通するようになった。イエス様は私に、私が見て聞いたことを諸教会に行って伝えなさいと言われたので(啓22:16)、その指示通りに伝えて来たのだ。私はただ、自分が見た事と聞いた事、すなわち啓示の御言葉と実状を伝えて来た。したがって私が伝えたことは事実であり確実である。
今日の信仰者たちは、新・旧約聖書の御言葉の知識がほとんどない。私が新約聖書の啓示録通りに成し遂げられた、その実状を見て聞いて伝えても、彼らは無関心であった。啓22章に見たところ、神様とイエス様はこの本の御言葉を加減できないようにされた。しかし、この世のキリスト教の世界は皆、啓示録を加減した。この本、啓示録が成し遂げられる時は、記録された預言通りに成し遂げられた。今日の私はこの本、啓示録通りに成し遂げられた実状を全て見て聞き、それらを伝えたが、これを信じる者はいなかった。しかし、私は見て聞いたことなので信じ、現れた実状はあまりにも不思議であった。
この本、啓示録を加減すれば天国に入れず、呪いを受けると言われた(啓22:18-19)。キリスト教の信仰者たちは啓示録を加減しなかったのか? 全世界のキリスト教徒たちは皆、この本、啓示録を加減した。今日、イエス様がこの本、啓示録通りに全て成し遂げられるのを、私は見て聞き、啓示の御言葉とその実状を伝えたが、人々は信じなかった。イエス様が初臨で来られて、旧約を成就した実状をイスラエルに伝えられたが、これを信じる者はいなかった。そのように今日もそうであった。
しかしイエス様は、主の再臨の時である今日、信じないことによって大患難があることをおっしゃり(ルカ17章)、啓6-7章と14章には信じないことによって大患難があることを知らされた。したがって初臨のイエス様は、主の再臨の時のことをノアの時、ロトの時のようだとおっしゃった(マタ24:37-39、ルカ17:26-30)。ノアが山で舟(方舟)を造り、大洪水があることを叫んでも当時の人々が信じなかったように、今日も神様とイエス様が、腐敗した一つの時代を審判された後(啓6章、13章)、山(シオン山)でノアの方舟のような避難所、すなわち救いの場所(新天地12枝派)を造っても(啓7章、14章参考)、人々は信じられなかった。今日加減できない啓示録がほとんど成し遂げられても、人々は信じない。ならば、その結果はどうなるのか? 答えは啓22:18-19にある。この本、啓示録を加減すれば、天国に入れず呪いを受けるとおっしゃった。加減しなかったのか? 私が見たところ、この世のカトリックとプロテスタントの牧者たちも教徒たちも皆、新約啓示録を加減した。加減した者たちは、啓22章の御言葉通り天国に入れず呪われるだろう。

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