- 約束の牧者を異端だと言った者たちを、イエス様の弟子たちと殉教した霊たちと、新天地十二枝派長たちが見届けるだろう -
再臨の時である啓示録の成就の時には、以前の天、以前の地が、啓6章のようになくなって、新しい天、新しい地が、啓7章のようにあるようになる(啓21:1)。それゆえ、この時をイエス様は、ノアの時、ロトの時のようだと言われた(ルカ17:26-30)。
ノアの時、ロトの時は、腐敗した一つの時代が過ぎて、新しい時代が創造される時であった。そして、啓示の本を受けて食べて(啓10章)、啓示録全章の事件を全て見て聞いた(啓22:8)者だけが、この本、啓示録の預言のまことの意味と、その成し遂げられた実状を証しする事ができる。初臨の時の約束の牧者であられるイエス様が、旧約を成し遂げた実状を証ししたように、今日、約束の牧者も、新約の啓示録を成し遂げた実状を証しした。しかし、その時ごとに地上の牧者たちは、信仰が腐敗していて、信じなかった。
初臨の時のイエス様は、新約の啓示録を約束され、今日、再び来られて、啓示録を成し遂げられた。そして、この約束の御言葉を加減すれば、天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた(啓22:18-19)。しかし、今日の地上の牧者たちは一様に、この本啓示録を皆、加減した。これは、啓示録全章を基準に公開試験をしてみれば、確認する事ができるだろう。そうならば、加減した牧者たちが天国に入れるだろうか?この質問に対する答えは、今日の牧師たちがしなければならない。
事実がこのようであるにもかかわらず、伝統教会(プロテスタントとカトリック)の牧者たちは、自称正統だと言い、啓示録に精通する新天地に異端だと言った。自分たちは、何端なのか?偽りを話す者は、偽りの牧者である。罪の中で、偽りを教える者の罪が一番大きいだろう。彼らは、イエス様が再び来られても、またイエス様に異端だと言うだろう。彼らは、天地の区分をできない人のようだ。それゆえ、新天地は、プロテスタントとカトリックの牧者たちに、大衆の前で啓示録基準で公開試験を受けて、誰が異端なのか確認しようと提案したが、今まで一人も応じなかった。
「牧師の皆さん、試験で零点を取ったら恥ずかしいから、出て来れないのでしょう?啓示録がわからなかったり、啓示録の公開試験(異端確認試験)を受けなくても天国に入ると、イエス様が言われましたか?たぶん、悪魔が話して、悪魔が試験を受けないようにしたのでしょう。新天地は、新約の啓示録の試験で満点を取る事ができるでしょう。新天地は結局、プロテスタントとカトリックに真理(啓示の御言葉)によって、試練に打ち勝ったのです。異端は新天地ではなく、新天地に異端だと言った偽りの牧者が異端です。もう、偽りの言葉はやめて下さい。牧師の皆さんが天国に行こうとすれば、全員が皆、啓示の御言葉で再び生まれなければなりません。」
旧約聖書(巻き物)が、イザ29:9-13のように封じられていて、知る者がいなかったように、新約の啓示録も、記録されてから約2千年になっても、神様が七つの封印で封じて、右の手に持っておられたので、天上天下にその意味を知る者がいなかった。今日、時になって、イエス様が七つの封印を解かれて、開いて、啓示録を成し遂げられ、神様(イエス様)の遣わされた約束の牧者が、イエス様が啓示録全章を成し遂げられる時、そばで見て聞いて、開かれた啓示録の本(啓示の本)を受けて食べたので、啓示録の預言のまことの意味とその実状に精通する。しかし、その昔初臨の時、ユダヤ教の牧者たちが、旧約に精通したイエス様に異端と言ったように、今日、伝統教会の牧者たちが、啓10章で啓示の本を受けて食べた約束の牧者に、また異端と言った。この牧者たちが知っている事は、「異端」という言葉だけのようである。「異端、異端」、異端という言葉はよく言う。しかし、彼らは、啓示録を加減したので、天国に入るのではなく、硫黄の火の池である地獄に入るだろう。
「新天地は、地上の牧師の皆さんにお願いします。新天地とプロテスタント・カトリックが、大衆の前で、新約の啓示録を基準にして、一緒に公開聖書試験を受けて確認した後、新天地が異端なのか、千(天)端なのか、決定しなければなりません。その昔、初臨の時、イエス様に「異端、悪魔」と言った当時のユダヤ教の牧者たちが、天国に入るでしょうか?天国の試験場では(最後の時である審判の時には)、イエス様の弟子たちと殉教した霊たちが、彼らを見届けるでしょう。今日も同じです。イエス様の十二弟子たちと新天地12枝派長たちが、新天地と約束の牧者に異端だと言った者たちを見届けるでしょう。」

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