ヨハネの福音書 1章

 


初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。

すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

神様から遣わされたヨハネという人が現れた。

この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。

彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。

この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

[ヨハ1:1-14]

 四福音書に記録されたイエス様の言行と、啓示録全章(啓1-22章まで)で、イエス様が成し遂げられたことと御言葉を、すべて見て聞いた者がいたが、それが弟子ヨハネであった。その見て聞いたことを記録したのが、ヨハネの福音書とヨハネの啓示録である。≪ヨハネの福音書≫は、初臨当時、イエス様が成し遂げられたことと、御言葉を見て聞いて記録したものであり、その中には、将来のことを預言した内容も含まれている。そして、十字架を負って死なれた後、復活昇天されたイエス様が、パトモス島に島流しされていた弟子ヨハネに、幻の啓示を通じて、将来のことを示された事を記録したのが≪ヨハネの啓示録≫である。この本、啓示録を加減すれば天国に入れず、呪い(災害)を受けるとおっしゃった(啓22:18–19)。しかし、この本、啓示録が記録されてから約2,000年にもなったが、今日までその本の預言の真の意味と、その成し遂げられた実状を知る者は、一人もいなかった。その理由は、この本を神様が、七つの封印で封じて、今日までその右の手に持っておられたからである(啓5章)。

 今日、時になってイエス様が再び来られ、新約啓示録を成就された。啓示録が成し遂げられる前は、封じられた書物であり、暗い夜のようであって、啓示録の預言の真の意味を知ることができなかった。しかし今日、イエス様が啓示録の封印を解いて開き、成し遂げられたので、預言の実体が現れ、実状を証しする啓示の御言葉が光となって、夜のような暗闇の世を、明るく照らしてくださった。初臨の時、旧約を成し遂げた啓示の御言葉を信じた者たちが、救いを得たように、今日、新約を成し遂げた啓示の御言葉を信じる者たちが、救いを得て天国に入ることになる。

 啓示録が成就される時には、新天地の約束の牧者である新しいヨハネが、啓示録全章の事件をすべて見て聞いて、イエス様の指示通り、その見て聞いたことを諸教会に行って証しした(啓 22:8、16)。それゆえ新天地のすべての聖徒は、約束の牧者を通して、啓示の御言葉を証しされることにより、啓示録に精通する。天国を望む信仰者たちは、新天地12枝派に登録され、啓示録に精通することによって、天国に入ることができる。アーメン。

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