旧約と新約を預言された方も神様であられたし、成し遂げられた方も神様であられた。しかし、人々は旧約と新約を信じると言うが、実は、その意味もよくわかっていなかった。
マタ13章の御言葉通り、イエス様が天国の秘密をたとえで語られた(預言)事は、対敵たちがわからないようにするためだった。イエス様は、乞食村ナザレで育ったが、神様の種で生まれた神様の子どもであられた。イエス様は、神様の種で生まれたので、神様のように賢明であった。当時のイスラエルの人々は、旧約を読んで、その通りにすると言って熱心であった。しかし、マタ13章で見たように、当時の人々の知恵は、神様の知恵に及ばず、旧約通り来られたイエス様を見分ける事ができず、信じられなかった。このように、新約もイエス様が預言されて、今日、再び来られて預言したことを全て成し遂げられたが、今日の人々も、初臨の時の人々のように信じられなかった。
今日、宗教世界には、神様の種の御言葉もあり、悪魔の種の言葉もある。しかし人々は、これを区分できなかった。それゆえ、新約の啓示録の預言が成し遂げられた実状を、新天地があかししたが、これを聞いても見ても信じられず、迫害をしたのである。
啓示録には、この本を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると言われた。ところが今日、啓示録を加減した者たちが、啓示録に精通する新天地に異端だと言った。初臨の時、エルサレムの牧者たちがイエス様にしたように。今日、今すぐにでも審判が始まるならば、どのようになるだろうか?地球村のキリスト教徒全員が、みんな新約の啓示録を加減した。それにもかかわらず、自分自身のために、新約の啓示録を知ろうとしない。これは信仰ではなく驕慢である。地獄と天国に対して、恐ろしく思ってないので、死んだ者と同じだと言えるだろう。この本、啓示録を全て成し遂げるならば、すぐに審判が始まる。この時、どうするだろうか?この時、救われる所は、啓7章の印を押された12枝派だけである。プロテスタントとカトリックは、啓7章と14章のように印を押されもしなかったし、新しい契約通り創造された12枝派に属すこともできなかった。それゆえ、天国に入れない。新天地は、印を押された約束の12枝派なので、天国に入るようになる。
宗教(キリスト教)世界の預言は、必ず成就される。この時、その意味をわかってこそ、預言が成就された実状を信じて、救われる事ができる。アーメン。

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